ノックもこなす車いすのマネジャー 野球からもらった夢
2021年7月13日17時15分 朝日新聞デジタル
「そこ捕れたんちゃうん?」「もっと早くボールに反応して」。氷上西高校(兵庫県丹波市)のマネジャー山崎愛由武(あゆむ)君(2年)は、仲間のエラーにも遠慮しない。
自らも60センチほどのひときわ短いノックバットを操り、鋭い打球を次々と繰り出す。昨年12月に監督がくれた相棒。これなら車いすの自分も十分に振ることができる。
もっとうまくなりたい。もっとチームのためになりたい。仲間が、あの言葉をくれるから。
◎
筋ジストロフィー。生まれつき足の筋力が弱く、走るのは苦手。転ぶことも多かった。スポーツからは距離を置くようにしていた。
小学5年の時、二つ年下の弟の練習を見た。代打で出た時の表情に、はっとさせられた。「絶対打つぞ」。年上の相手投手にもひるんでいなかった。
野球って、いいな。
弟の練習を毎回見に行くようになった。スコアが付けられるようになればベンチに入れると聞いて、母と勉強した。
本当は、中学から野球部に入りたかった。「練習の邪魔になるかも」。おじけづいてしまった。
そして、中1の秋。いつものように転び、右足をくじいた。
1週間ほどで終わるはずだった車いす生活。でも、終わらなかった。
できないことが増えた。「車いすのくせに」と言われるのが怖くて、言えなくなることも増えた。
自分は受け入れてもらえないんじゃないか。いつも、びくびくしていた。
自分から心は開かないのに、誰かに話しかけてもらうのを待つ日々。ふだん話す声も小さくなった。そのまま中学生活が終わった。
高校生活も普通でいいや。そう思っていた。
◎
部員ゼロ。休眠状態。
入学してしばらく経った頃、そんな野球部の再始動に向け、新任の藤田喜継(よしつぐ)監督(38)が部員集めから始めたと知った。
昨年6月の昼休み。一緒にご飯を食べていた同級生の芦田哉太(かなた)君と、プロ野球の話で盛り上がった。
「野球、興味あるん? なら一緒にせえへん?」
戸惑った。「邪魔になって、迷惑かけるかも」。中学の時と同じ不安が口を突いた。
「好きなら一緒にやろうよ」。後にチームメートになる同級生は、気にもしていないようだった。
見学に集まり、入部を決めた1年生12人のうち8人が野球初心者。そんな部員1人ひとりを丁寧に指導する藤田監督の姿を見て思った。「自分もここで野球を学びたい」
藤田監督の言葉も大きかった。「車いすだからって気にせんでええ。できることはいっぱいある」
まずは再び野球の勉強。スコアの付け方。プレーのコツ。仲間は初心者ばかりだから、ルールを尋ねられることも多かった。
昨年9月からはノッカーも任された。最初はボールが飛ばなかった。でも短いバットが解決してくれた。
僕って必要とされているかも――。初めての感覚が芽生えた。
初めて挑んだ昨秋の地区大会は、51点とられて5回コールド負け。それでも、だんだんチームはレベルアップしてきた。
もう一つ上をめざすため。何ができるか考えた。
昨年11月23日、チームのグループLINE(ライン)にこんな投稿をした。
《今日の試合を振り返って。反省点、守備時のボールを取るときの声かけ》
《良かったところは、走塁時にワンバンで走ったりピッチャーの動作を見て走れたこと。攻撃時にランナーを貯(た)めることが出来たこと》
《今日の課題をこれからの練習で生かしていこう!!》
プレーできない自分にとって、勇気がいる投稿だった。「車いすなのに何言ってんだ」と言われることも覚悟した。
ピロン。少し時間が空いて返信が続いた。
《ありがとう》
《ナイスコメント、ありがとう》
それからは仲間にLINEで、アドバイスすることが増えた。10個以上の《ありがとう》をもらうこともある。
◎
高2になって、クラスでは委員長になった。自分で手を挙げた。クラスメートにも積極的に話しかける。
「今までの自分では考えられなかったこと。あの『ありがとう』が後押ししてくれた」
野球から、将来の夢ももらった。
プロ野球や五輪の公式記録員になって、ずっと野球に携わり続けたい。
「同じく車いすに乗っている人に、車いすでもこんなことができるんだって、勇気を持ってもらえたら」
だから、この夏は生まれたばかりのチームと一緒に戦い、一緒に成長したい。