「悪者になりたくない…」明徳義塾2年生、無心の同点弾
2021年5月30日09時00分 朝日新聞デジタル
■朝日新聞ポッドキャスト「音でよみがえる甲子園」
(2002年夏、第84回大会3回戦 明徳義塾7―6常総学院)
「僕が(試合を)もつれさせた第一人者ですね」
当時、2年生ながら明徳義塾(高知)の左翼手レギュラーだった沖田浩之さんは、そう笑って振り返る。
■「めっちゃ嫌なことしてくる」
試合は、事前に常総学院(茨城)の木内幸男監督(当時)が「7対3で明徳が有利」と言っていた通りの展開となった。四回まで4―1で明徳がリード。常総は2本の適時打で1点差に迫った後、試合巧者ぶりを発揮する。
七回。二つの敵失で、1死一、三塁を作った。ここで繰り出した作戦は「セーフティースクイズ」。打者は球がストライクゾーンに来たら、一塁側にバントを転がし、三塁走者は打球が転がったのを確認して、本塁へスタート。投球動作と同時にスタートを切る本来のスクイズより安全で、一塁手が軽快にさばかない限り、得点できる。
沖田さんは左翼の守備位置から「ミスしたところを小技で攻めてくる。めっちゃ嫌なことをしてくるな」と思っていた。
常総が同点に追いついた。
■「なんで飛んだんやろ」
ただ明徳は、同じ作戦に2度も屈することはなかった。
常総は八回も、1死一、三塁からセーフティースクイズを試みた。だが、当たりがやや強かったこともあり、一塁手が三塁走者を本塁で刺した。続く2死一、二塁。記事の冒頭で沖田さんが発した言葉の意味が、分かることとなる。
前方にライナーが飛んできた。無我夢中で飛び込んだ。「後々、ビデオで見たら『なんで飛んだんやろ』と思う。飛び込まなかったら、1失点で済んだのに」
打球に届かず、打球は自身の後方を転々。2点を勝ち越された。
■「代打を送ってほしい…」
「キャプテンの森岡(良介)さんが、『打ってかえすしかない』って言ってくれたのは覚えている。でも、次の打席は『代打を送ってほしい』って思ってた。これ以上、悪者にはなりたくないって」
八回2死一塁、狙い球を絞るとか、次の打者につなぐとか、打席で何かを考えられる精神状態ではなかった。
2球目を無心でたたくと、右翼ポール際への同点2ランに。「打った感触も覚えてないけど、これも後で映像を見たら、めっちゃガッツポーズしてた(笑)」
生還し、一塁ベンチ奥で水を飲んでいたら、球場が沸いていることに気付いた。続く森岡(現・東京ヤクルトスワローズコーチ)が、勝ち越しのソロ本塁打。チームは苦しい一戦を制して勢いづき、大会を制した。
■「ようやった」に涙
新チームで、沖田さんはキャプテンになった。馬淵史郎監督からは、「歴代で一番弱い」と言われ続けた。
合言葉は「全員で優勝旗を返しにいく」。夏の高知大会は、食事がろくにのどを通らず、眠れない日もあった。重圧に押しつぶされそうになる中、6年連続となる夏の甲子園出場を決めた。「ようやった」。馬淵監督から初めて言われたねぎらいの言葉に、沖田さんは涙した。
3年夏の甲子園は、2回戦で平安(京都)に敗れた。最後の打者は、沖田さん。ゴロを放ち、一塁ベースへ「代名詞」とも言えるダイビングをしたが、送球が一塁手のミットに収まるよりも、ほんの一瞬だけ遅かった。(井上翔太)