0―34の大敗から22年 相手選手が監督となり聖地へ

2021年3月17日18時45分

 春夏通じて初めて甲子園に出場する京都国際(京都市東山区)の野球部は1999年、前身の京都韓国学園時代に創部した。現在、監督としてチームを率いる小牧憲継(のりつぐ)さん(37)は、同年の京都大会初戦で0―34で大敗した相手チームの選手だった。「一生懸命、野球をする姿勢は、当時も今も変わらない。地に足をつけて戦いたい」と意気込む。

 99年、京都大会2日目。舞鶴球場は異様な盛り上がりを見せた。

 前年夏に甲子園で準優勝した京都成章と京都韓国学園の対戦。京都成章は、初回から猛攻を浴びせた。京都成章の2塁手として出場していた小牧さんは「打ったら、安打になった。相手がけがをしないか心配だった」という。それでも、京都韓国学園の投手がストライクを取るたび、スタンドからは大歓声があがった。

 普段の京都成章なら、控えメンバーが試合に出てもおかしくなかったが「一生懸命に立ち向かってきたので、最後までベストメンバーで戦った」。試合を終えた選手には「よくやった」と拍手が送られた。「あのチームを自分が率いて甲子園に行くのは、不思議な感じがする」と振り返る。

 小牧さんは高校3年まで野球に打ち込んだが、けがが多かった。プロ野球選手の夢をあきらめ、2006年に銀行に入った。同じ年、当時の監督から、共通の知り合いを通じて「土日だけでも、京都韓国学園で野球を教えてほしい」と誘われた。打席ではフルスイングし、守備ではボールを最後まで追い続ける選手の姿を見て「野球好きな子に、もっとうまくなってほしい」との思いが募った。

 07年にコーチ、08年に監督に就任した。04年に学校教育法1条に定められた京都国際学園となり、日本人にも門戸が開かれていた。それでも、部員を集めるため、練習のない休日に関西の中学クラブチームに出向いた際、誤解や偏見から応じてもらえないこともあった。「いつかは結果で見返してやる、と思い、指導に熱が入った」という。

 指導方針は「次のステージでも活躍できる選手を育てること」。大半の選手は大学、社会人でも野球を続ける。チームの勝利をめざす中、犠打でランナーを進塁させたい場面でも「思い切ってホームランを狙ってこい」と送り出すことがある。「少しでも個性を消さず、可能性を残すように意識している」ためだ。

 そうした指導方針が徐々に広まり、今では「プロ野球選手になるため、国際で野球がしたい」と選手が集まるようになった。京都府福知山市出身の森下瑠大(りゅうだい)投手もその1人だ。地元の強豪、福知山成美に進んだ兄とは違う道を選んだ。「打撃か投手かに絞らず、両方の可能性を生かせると聞いたので、国際で野球をしようと決めた」と明かす。

 19年の京都大会は、決勝で逆転負け。2人がプロ入りするなど充実した陣容だった20年は、コロナ禍で京都大会が中止となった。今年のチームは、秋季大会は3位だったが、近畿大会で粘り強く戦い、初の甲子園出場をたぐり寄せた。

 小牧さんは「選手たちは、『あと一歩』で甲子園に出られなかった先輩の姿を見てきた。やっとの思いでつかんだ甲子園。今年のチームは、主将の山口を中心に団結して、力以上のものを出せるチーム。出るからには勝ちに行く」。悲願の甲子園初勝利をめざす。(吉村駿)

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