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広島新庄 チーム一丸、夏へ奮起

2021年4月1日09時00分

 第93回選抜高校野球大会に出場した広島新庄は、惜しくも2回戦で敗退した。初の8強入りは果たせなかったが、最後まで粘りの野球を見せた。

 2試合とも先発した花田侑樹投手(3年)は「あっという間だった。力不足を感じた」。2回戦で適時打を放った平田龍輝選手(同)は「レベルアップして絶対戻ってくる」と悔しさをにじませ、奮起を誓った。

 観客は1万人に制限され、ブラスバンドの生演奏は録音に取って代わった。「今まで通り」とはいかなくても、選手にとって甲子園という場所はやはり特別だった。秋山恭平投手(同)は「すばらしい場所で投げさせていただいた」。

 昨春には休校で練習も休みになった。当たり前が当たり前ではないと知ったこの1年。大可尭明主将(同)は「開催していただいたことに感謝」。遊撃手の瀬尾秀太選手(同)は「最高のグラウンドだった」と野球ができる喜びをかみしめていた。

     ◇

 広島新庄の宇多村聡監督(34)は、同校で春夏3度甲子園に出た前監督の迫田守昭さん(75)からバトンを受け継ぎ、初めての春の甲子園に挑んだ。

 「みんなの心を一つに」。宇多村さんはこの言葉をよく使う。ベンチ外も含め、全員野球を大切にする思いを込める。球児だったころ、恩師の迫田さんが度々口にしていた言葉だ。

 17年前、宇多村さんは広島商の捕手で、迫田さんは広島商の監督だった。体重が重く、足も遅かったという宇多村さんのことを、迫田さんは「レギュラーになれる選手とは思っていなかった」と振り返る。

 2年秋の新チーム発足時、宇多村さんはメンバーに入れなかった。それでも猛練習の末に3年生でレギュラーを勝ち取り、広島商16年ぶりの夏の甲子園出場に貢献。1回戦で浦和学院(埼玉)に1―3で敗れたが、チーム唯一の適時打を放った。迫田さんは「どんくささを努力ではね返した。彼の努力がなければ甲子園に行けなかった」。

 2007年、迫田さんは広島新庄に移り、監督に就いた。

 学校は広島市から車で約1時間。広島県北部の北広島町にあり、腰の高さまで雪が積もることもある。冬は学校近くの工場跡地に造った屋内練習場で練習に励んだ。1年半後、大学を卒業する宇多村さんをコーチに誘った。まじめで努力家。彼なら自分と一緒に頑張ってくれる。選手からも信頼されるはずだ。そう考えた。

 宇多村さんは「幸せなこと」と快諾。二人三脚で歩み始めた。14年春の初出場以来、春夏合わせて3度、甲子園に出た。少ない点差で守り勝つ野球は、広島商のチームカラーにも重なる。

 「お前しかいない」。19年12月末、迫田さんは引退する意思を伝え、後任を託した。「コーチを依頼したときから、後を継いでもらうつもりだった」。昨春の選抜大会が迫田さんの「花道」になるはずだったが、コロナ禍で中止に。3月末に勇退した。「教え子の一人として甲子園での采配をもう一度見たかった」。宇多村さんは残念がった。

 指揮を執った昨夏の甲子園交流試合。北田大翔(だいと)くん(3年)は当時スタンドから見守った。「チームが一つになる瞬間を感じた」。天理(奈良)を相手に粘りを見せ、逆転勝利した。

 迎えた今年の選抜。1回戦は上田西(長野)相手に延長12回の接戦を制したが、2回戦で智弁学園(奈良)に2―5で敗れた。教え子の采配を広島市内の自宅で見守った迫田さんは、「弱点を突こうという狙いが見えた。敗れはしたが、強豪相手に健闘した」とねぎらった。

 「甲子園はあっという間。チーム一丸となり戦うことが大事だよ」。宇多村さんは甲子園で恩師の言葉を思い出した。「試合には負けたが、ベンチとスタンドが一体になって戦えたのは大きかった」と語った。(三宅梨紗子)

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