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軽妙な茨城弁、本質突いた「木内節」 木内元監督死去

2020年11月25日09時00分

 常総学院元監督の木内幸男さん(89)が24日、亡くなった。取手二と常総学院の監督として春1回、夏2回の全国制覇を果たした。常識にとらわれない采配は「マジック」と称され、軽妙な茨城弁で本質を突く「木内節」は、高校野球ファンに強い印象を残した。

     ◇

 土浦一を卒業後、母校に残り指導者としての道を歩み始めた。1957年に取手二の監督に就任し、77年に初めて甲子園に出るまで20年を要した。

 甲子園での最初のハイライトは84年夏。初戦で箕島(和歌山)を破って勢いに乗り、一気に決勝にコマを進めた。相手は桑田真澄さん、清原和博さんを擁するPL学園。「KKコンビ」は2年生。選手に「2年に負けていいのか」と発破をかけると、延長の末に茨城に初の優勝旗をもたらした。

 敗れた桑田さんが、後に「ニコニコ笑って野球をしている。この野球はなんなんだ、と思った」という戦いぶり。木内さんは試合後のインタビューで感慨を漏らした。「火事場のバカ力ですよ。のびのびやりましたからねえ」

 スター選手のいるチームとの戦い方が、木内流の真骨頂。「弱者の兵法」がモットーだった。常総学院に移り、夏の選手権初出場で決勝まで進んだ1987年。2回戦以降の相手投手はすべて、後にプロ入りした。「好投手は打てないというのが前提。相手が間違った球、気を抜いた球を狙う」

 選手の表情やしぐさを、つぶさに観察して言葉をかけた。この夏の決勝では、再びPL学園と対戦。相手は春夏連覇に王手をかけていた。前日、決勝進出を決めて宿舎に向かうバスで、浮かれる選手に冷や水を浴びせた。「あすは準優勝盾、決定。勝ち目なんかない。前頭が横綱に食らいつくだけだ」

 その後も、春の選抜大会で一度ずつ、優勝と準優勝に導いた。ただ、指導者としての理念は変わらなかった。「毎年、力や性格が違う選手を預かって、勝つ喜びを教える監督ほど、おもしろいことはほかにない。私の生きがい、人生そのもの」。2003年、関東地区の指導者を前にした講演で、こう語った。

 だが、高齢になるにつれ、衰えも感じるように。「試合を指揮することはできるが、チームをつくりあげる根気が衰えてきた」。この年の7月、甲子園出場を決めた茨城大会決勝の後、退任の意向を公表した。

 花道を飾ろうと、選手たちは甲子園で躍動した。ダルビッシュ有投手を擁する東北との決勝戦。選手をリラックスさせようと、茨城弁で語りかけた言葉が「孫の代まで自慢できっから、打っとけよ」だった。

 優勝を決めたグラウンドに「木内コール」が鳴り響く中、松林康徳主将(現常総学院部長)からウィニングボールを手渡され、「こんなについていたら、今後の人生、つきは残らないなあ。いつもは記念品なんて放っておくけど、これはもらっておくかな」と笑った。

 07年秋に再び監督として復帰したが、11年夏に退いた。時に型破りで、「木内マジック」とも呼ばれた采配の秘訣(ひけつ)はどこにあったのか。18年6月、100回目となる夏の茨城大会を前に開かれた対談会では、ひょうひょうとした調子で、その疑問に答えた。

 「マジックと言ったって、子供たちをよく見ていれば分かる。ネタは子供たちが持っている。カーブをうまく打つやつは打たせればいいし、だめならバント。サインを的中させる選手に恵まれた」(小松重則)

     ◇

 木内幸男さんは、今年の夏ごろまでは元気そうだったと関係者は話す。その後、「腹が痛い」と漏らすようになった。口から食事ができなくなり、がんが見つかった。関係者は「2003年に(85回全国選手権大会で)優勝した後、腎臓や前立腺に病気が見つかっても、ここまで痛がることはなかった。相当痛かったのだと思う」と話す。

 木内さんが取手二を率いて66回全国選手権大会(1984年)を制した時の二塁手だった常総学院前監督の佐々木力さん(54)は「選手、監督を通して約30年一緒にいて、父親のような存在だった。23日に面会した時、手を握って『もう少し頑張ってください』と伝えたけれど……。長い間、ご苦労様でしたと伝えたい」と言葉を絞り出した。

 同じく三塁手で、現在は土浦日大監督の小菅勲さん(54)は「世界で一番野球が好きなんじゃないかと思うほど、野球を愛し、情熱を持っていた。その姿に引っ張られなければ今の自分はない。次世代に木内野球のDNAを伝えることが私たちの使命だ」と話した。

 この年、茨城大会決勝で取手二に敗れた竜ケ崎一の主将で、現在は母校の監督を務める津脇義明さん(54)は「監督になってからも木内さんには1度も勝った記憶がない。雲の上の存在なのに、気さくに接してくださった」。木内さんの取手二時代の教え子で現在は母校の監督を務める後藤賢さん(60)は「変化を恐れず、私の選手の起用法を見て『まねさせてもらうからな』と言うこともあった。乾いたスポンジのように常に何でも吸収する人だった」。

 木内さんの後任として03年秋~07年夏に常総学院の監督を務めた現・専大松戸監督の持丸修一さん(72)は「寂しさでいっぱい。その時に一番勝てる野球をする人でした」と話した。

 茨城県高校野球連盟の榎戸努専務理事は「県内の高校野球の発展に尽くしてくれた最大の功労者で感謝の気持ちでいっぱい。他の監督には思いつかない発想をお持ちだった。選手との間に強い信頼関係があったからこそでは」としのんだ。

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