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奈良)日本一の努力で「ドラ1」 元天理の谷口功一さん

2020年10月24日09時00分

 奈良県のドラフト史は、この人を抜きには語れない。29年前、人気球団にドラフト1位で指名された直後のフィーバーについて語ってくれた。

 県内の高校から初めてドラフト1位で指名されたのが谷口功一さん(47)だ。右の本格派投手として天理高2年の夏に全国制覇を支えた。191センチの長身から放つ球は最速149キロ。1991年、当時まだ突出した人気を誇っていた巨人の「ドラ1」となった。

 「大変や」。それしかなかった。「桑田さん、斎藤さん、槙原さんの3本柱に香田さん、水野さん、宮本さん。それに木田さんに石毛さん……。僕はどこで投げんの?と思った」。ドラフト後は学校を出ると誰彼となく群がってきた。商店街を歩けば大名行列状態。「ラーメンもゆっくり食べられへん。異常でしたよ」

 大阪府四條畷(しじょうなわて)市出身。中学時代の大東畷ボーイズでは、のちに阪神にドラフト1位で入った萩原誠さんらとともに全国制覇した。100校ほどの高校から声をかけられ、86年夏に初優勝した姿にあこがれていた天理へ進んだ。

 高校でもすぐ試合に出られると思っていたが、1年の夏はメンバー外。「あれで本気になった」。チームが先駆的に取り組んでいた初動負荷トレーニングに明け暮れ、投げ込む。練習後には奈良公園まで走った。

 「僕よりトレーニングしたり、走ったり、投げ込みしたヤツはおらん。日本一努力したから、日本で一番の球団に1位で指名してもらえた」。そう言いきる。

 プロ2年目の5月に右肩を痛める。「復帰したあと、8月に完全に肩がぶっ飛びました」。そのころは昼に2軍で先発として投げたあとに1軍のナイターに合流。巨人出身の野球解説者の前で投げたり、実際に試合でリリーフしたり。期待を受け、肩を酷使した。

 まともに投げられるようになるまで約3年もかかった。結局、巨人では1軍で3試合に投げただけで勝ち星なし。98年には西武、99年に大阪近鉄に所属したが、この年に自由契約となった。野球ができなかった時間を取り戻したい気持ちで海を渡った。米国で招待選手として大リーグのキャンプに参加したり、独立リーグで投げたり。

 2002年に選手生活を終えると、大東畷ボーイズの監督に。後輩たちと日本一にもなった。東京で飲食店を経営したあと、独立リーグ長崎のコーチに。貪欲(どんよく)な若者たちに出会った。彼らに求められ、谷口さんは練習後もノックを打ち、打撃投手をした。中から3人がのちに楽天、巨人、西武に入った。「底辺からはい上がっていく子らと過ごせた時間が、いい経験です」。柔らかい笑みで語る。

 いまは関西独立リーグの06BULLSでコーチをしている。背番号は巨人時代と同じ25である。(篠原大輔)

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