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「ぼちぼちいこか」で魔法 天理率いた橋本武徳さん逝く

2020年10月11日12時40分

 夏の全国高校野球選手権大会で天理(奈良)を2度の優勝に導いた橋本武徳・前監督が9日、75歳で死去した。同世代の監督はおおらかな人柄をしのんだ。

 「橋本さんは豪快で緻密(ちみつ)やった」と前・智弁和歌山監督の高嶋仁さん(74)は振り返る。「おーい、もう七回やで。ぼちぼちいこか」と選手に語りかける。「すると、選手がバーッと点を取りよるんですよ」

 2度目の全国制覇を果たした1990年夏の甲子園もそうだった。2回戦で成田(千葉)の猪股広投手に六回までパーフェクトに抑えられた。七回の攻撃前に橋本監督が円陣で「ぼちぼちいこか」と選手に話し、この回、同点に追いついている。

 橋本さんが監督になった82年には、高嶋さんは和歌山に移っていた。だから智弁学園(奈良)監督時代に対戦はしていないが、隣県の強豪校としてしのぎを削った。「ぼくも選手に発破をかけるが、言い方がキツイ。橋本さんはゆるーく言う。それが効くんです」と高嶋さん。「豪快やけど、スクイズもする。手ごわい監督さんでした」

 天理が初優勝した86年の前後年(85、87年)を制したPL学園(大阪)の監督だった中村順司さん(74)は「当時は互いのグラウンドで交流試合を年に1回していた。穏やかでおおらかな方だった」と懐かしんだ。

 86年の初優勝では、右ひじを痛めていた本橋雅央投手を起用した采配が批判も浴びた。当時を知る記者は「彼のために投げさせる。俺が責任を持つ、と橋本さんは言っていた。賛否は別にして、選手の信望は厚かった」と回想する。(編集委員・安藤嘉浩)

     ◇

 〈86年に甲子園初優勝した時の主将で、現天理監督の中村良二さん(52)の話〉橋本先生に出会えたから、プロに行けて、母校の指導者にもなれた。感謝の思いしかない。自分たちを信じて、のびのびと野球をやらせてくれた監督さんだった。今、高校生を教えるなかで、橋本先生の指導が指針になっている。「来年の選抜大会を決めるので、見に来てください」と伝えたばかりだった。

     ◇

 奈良・天理高の硬式野球部監督として、2度の夏の甲子園優勝へ導いた橋本武徳(はしもと・たけのり)さんが9日、下行結腸がんで死去した。75歳だった。通夜にあたるみたまうつしは12日午後6時30分、葬儀は13日午前11時から天理市布留町1の3の天理教第十二母屋で。喪主は長男成年(なりとし)さん。自宅は同市三島町147の1。

 奈良県天理市生まれで、1962年夏に同校の中堅手として甲子園に出場した。82年から母校を率い、4年後の第68回全国選手権では中村良二(元プロ野球近鉄、阪神)を擁して、県勢初優勝。その夏に監督を引退するも、90年6月に部内の暴力事件を機に復帰。同年の第72回全国選手権では、南竜次(元日本ハム)と谷口功一(元巨人、西武、近鉄)の二枚看板で2度目の全国制覇を果たし、翌91年に退任した。不祥事を受けて2011年6月に3度目の「登板」をすると15年夏まで指揮し、初優勝時の主将だった中村・現監督に後を託した。

 選手自身の考えを大事にする指導方針だった。第72回大会2回戦では、千葉・成田の左腕投手に六回まで完全に抑えられていたが、七回の攻撃前に「ぼちぼちいこか」と語りかけた。このおおらかな一言をきっかけに選手が奮起したというエピソードがある。

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