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福岡)「甲子園は青春」福嶋一雄さん、後輩ら惜しむ

2020年8月29日09時00分

 旧制小倉中学、小倉高校のエースとして、甲子園連覇の中心となった福嶋一雄さんが27日、89歳で亡くなった。かつて福嶋さんも汗を流した母校のグラウンドでは28日、後輩選手たちが冥福を祈った。

 小倉高校野球部の選手たちはこの日、午後4時半過ぎに練習を始める前に、1分間の黙禱(もくとう)を福嶋さんに捧げた。西田弘康監督は「先輩も君たちが元気よくグラウンドでプレーすることを望んでいる。頑張っていこう」と声をかけた。

 西田監督は2年前の就任の際に福嶋さんの自宅を訪ねた。「頑張ってください」と声をかけられたという。「福嶋さんなくして今の小倉はない。絶対に甲子園に連れていかなければと思った」と振り返った。

 加藤巧郎主将は、祖父が福嶋さんと同級生で元チームメートだった。両親から福嶋さんや祖父の話を聞くうちに小倉高校に憧れ、入部を決めた。福嶋さんとは3歳のころ、祖父の葬儀で一度会ったきり。「高校生になった今、もう一度お会いしたかった」

 小倉は近年、甲子園出場から遠ざかっており「古豪」と呼ばれることに悔しさを感じている。「先輩たちの思いも背負って、甲子園を目指して頑張りたい」

 小倉高野球部OB会「愛宕クラブ」会長の篠田義昭さん(67)は、30年ほど前にOB会に入り、会長だった福嶋さんと数年一緒に活動した。甲子園の出場経験がない篠田さんは「OB会に参加するのに引け目があった」。だが、「雲の上の存在」と思っていた福嶋さんは優しく、気さくに接してくれた。

 現在は篠田さん自身が若い世代と活動を共にしている。「福嶋さんの遺志を継ぎ、母校のために頑張りたい」と語った。

 今年5月、朝日新聞の取材に応じた福嶋さん。幼い頃は小学校を休学するほど体が弱かった。戦時中は自宅の庭にも爆弾が落ち、生き延びるのに必死だったという。

 スポーツをすることすら考えられなかった自身が甲子園のマウンドに立ったのは「夢みたいなものだった」という。エースの連戦連投が当たり前の時代。体力がない自分が1試合を投げきるのにどうすれば良いか考え、編み出したのが、制球良く四球を出さずゴロを打たせる投球法だった。

 印象に残っているのは、やはり1947、48年の甲子園連覇と、最後に負けた試合だと振り返り、こう述べた。「甲子園は青春そのものだった」

 高校の前に立つ小倉中・小倉高同窓会の「百周年記念明陵会館」には、投球直後の福嶋さんの姿を捉えた写真パネルや表彰状など、足跡を伝える数々の品が展示されている。その前には、28日朝にOBが持参した白い花が供えられていた。(川辺真改、板倉大地)

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