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福嶋一雄さん死去、89歳 甲子園の土を最初に持ち帰る

2020年8月27日23時44分

 1948年の全国高校野球選手権大会に小倉高(福岡)のエースとして出場し、5試合すべてを完封して2連覇を達成した福嶋一雄(ふくしま・かずお)さんが27日、十二指腸がんのため北九州市内の病院で死去した。89歳だった。葬儀は家族葬で営む。

 静岡県浜松市生まれ。47年の全国中等学校優勝野球大会で、旧制小倉中のエースとして独特な下手投げ投法を駆使し、九州勢初の全国制覇を飾った。学制改革後で高校選手権となった48年の大会では1回戦から決勝の桐蔭(和歌山)戦まで無失点で投げきり、25回大会(39年)の嶋清一投手(和歌山・海草中)と並ぶ全5試合完封の大記録をうち立てた。3連覇を狙った49年(当時は小倉北)は準々決勝で倉敷工(岡山)に惜敗。帰り際にグラウンドの土をユニホームのポケットに入れ、甲子園の土を最初に持ち帰った球児の1人と言われている。

 卒業後、早大の東京六大学リーグ優勝、八幡製鉄(現・日本製鉄)の都市対抗制覇などに貢献して、「福嶋行くところに優勝あり」と言われた。現役引退後はテレビ、ラジオの解説を通じて、高校球児を見守り続けた。2013年に野球殿堂入りした。

 ■頭脳的投球は高校野球のお手本

 終戦直後の甲子園で小倉高(福岡)を2連覇に導いた福嶋一雄さんが27日、89歳で死去した。

 新日鉄光製鉄所労働部長時代の福嶋さんに、夏の甲子園にまつわるエピソードを聞いたことがある。

 深紅の大優勝旗が初めて関門海峡を渡った1947年。その秋の第1回九州大会が鹿児島で開かれ、開会式で大旗を披露することになった。

 ところが、前日に鹿児島入りした旧制小倉中は、肝心の大旗を学校に置いて来てしまった。地元では大旗が見られるとあって前人気は高く、関係者はあわてた。「選手のお父さんが夜行列車に乗って運び、やっと間に合わせた。福岡県民だけでなく、九州全体が私たちの優勝を喜んでくれたのが何よりうれしかった」。懐かしそうに話していたのが印象に残っている。

 福嶋さんが最も輝いたのは翌48年の第30回大会だろう。

 この年は学制改革で中等学校が高等学校となり、夏の大会も現在の全国高校野球選手権大会に改められ、同時に「栄冠は君に輝く」の大会歌が作られた。

 連覇を目指した福嶋投手は絶妙の制球を誇り、緩急をうまく使って5試合すべてで完封勝利を飾った。第25回大会の海草中(和歌山)の嶋清一投手と2人しか達成していない金字塔だ。「カーブでカウントを稼ぎ、ボールのシュートを振らせる作戦がうまくいった」と快活に話していた。頭脳的投球は高校野球のお手本とされた。

 小倉北高と校名が変更された49年は福嶋さんの「3連覇なるかどうか」が注目の的だった。予選前に右ひじを痛め、甲子園に来てからも医者通いを続けた。打線の援護で何とか準々決勝にこぎつけたが、初出場の倉敷工(岡山)に惜敗した。

 福嶋投手は試合後、三塁ベンチから一塁側の退場口に向かう途中、本塁ベースとバックネットを結ぶ中間あたりでグラウンドの土をすくってポケットにしまい込んだ。「もう、甲子園に来ることがないと思うと寂しさがこみあげ、とっさに手が土にいきましてねえ」

 「甲子園の土」を持ち帰ったのは、戦前の川上哲治さん(熊本工)が最初とも言われている。ともあれ、福嶋さんの自然な心情から生まれた行為は、いまも選手の間に受け継がれている。(元編集委員・岸本千秋)

     ◇

 福嶋さんは2013年に野球殿堂入りした際、「身に余る栄誉をいただいた。勝った試合より負けた試合を覚えている。その悔しさがあって、今日の私がある。今後も微力ながら野球界の発展に尽くしたい」と話していた。

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