あの夏の近江×金足農 逆転サヨナラ2ランスクイズ 劇的幕切れの後、吉田輝星が見せた優しさ
劇的な試合が多かった第100回全国高校野球選手権記念大会。象徴的なシーンが、金足農(秋田)が近江(滋賀)を下した準々決勝の逆転サヨナラ劇だ。
1―2とリードされて迎えた九回裏。無死満塁と攻め、9番打者の斎藤璃玖(りく)が三塁手の前にバントを転がす。スクイズバントだ。
三塁走者が本塁にかえって、まず同点。前進した三塁手が一塁へ送球しようとした時だった。
「あああああ~~~!」。阪神甲子園球場が悲鳴のような驚きの声に包まれた。三塁手のすぐ後ろで、二塁走者の菊地彪吾(ひゅうご)が三塁ベースを蹴ろうとしていたからだ。
グングン加速した菊地は、その勢いのまま本塁ベースに滑り込んだ。「セーフ!」。田中豊久球審の両手が大きく開く。逆転サヨナラ2ランスクイズ――。
その直後のシーンが、劇的なドラマの価値を、さらに高めることになる。
サヨナラの生還を果たした菊地のもとに金足農の選手が駆け寄り、歓喜の輪を作った。主将の佐々木大夢(ひろむ)はその輪からすぐ離れ、打者が置いたバットを拾って一塁ベンチ前に片付けた。振り返ると、近江の2年生捕手・有馬諒が、倒れ込んだままでいるのが見えた。
近江の主将・中尾雄斗は三塁ベンチにいた。「うそやろ」。ベンチを出て有馬のもとへ走ると、佐々木が先に到着していた。
だから有馬は、金足農の主将と近江の先輩たちに抱え上げられるようにして起き上がった。金足農のエース・吉田輝星はその様子を見て、「最後の夏にこんな負け方をした相手に何かできないかな」と考えた。
試合で使用したボールは球審から勝利校の主将・佐々木に渡された。そのウィニングボールを吉田はもらい、試合終了のあいさつをした後、近江の主将・中尾の胸元にボンッと押し当て「あげる」と言った。
「負けた悔しさは自分もわかる。記念のボールを持っていたら、いい思い出になるかもしれないという気持ちだった」。プロ野球日本ハムに入団した吉田が、その思いを教えてくれた。
中尾は「どういう意味かわからなかった」と苦笑する。しばらくして「監督が誕生日やからか」と思い至った。多賀章仁監督は、試合があった8月18日が59歳の誕生日。「勝って監督にウィニングボールをプレゼントしよう」と臨んだ試合だった。吉田にそこまでの意図はなかったが、中尾はそう解釈した。
監督の多賀は夏が終わるころ、そんなやりとりがあったと知って感激した。「私は生徒に常々、痛みがわかる人間になって欲しいと話している。金足農は私が理想とするチームです」
金足農は秋田大会から一貫して「9人野球」で勝ち進み、甲子園の3回戦は逆転3ランで横浜(南神奈川)を撃破。サヨナラ2ランスクイズに続く準決勝は、吉田が強打の日大三(西東京)を抑え込み、2―1で競り勝った。決勝は春夏連覇を果たす大阪桐蔭(北大阪)に敗れたが、さわやかな「カナノウ旋風」が、記念大会の夏を大いに盛り上げた。=敬称略(編集委員・安藤嘉浩)