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あの夏の興南×報徳学園 「なんくるないさ」を封印 指笛響いた沖縄初の甲子園V

2020年8月19日12時38分

朝日新聞DIGITAL

 首里が沖縄勢として初めて甲子園の土を踏んでから52年。2010年の第92回大会。深紅の大旗を初めて沖縄の地へもたらすべく、チームを作り上げてきた興南が最も追い詰められたのが、報徳学園(兵庫)との準決勝だった。

 二回を終えて0―5。興南のエース島袋洋奨が、自慢の直球をいきなり打たれたのだ。

 春夏連覇もかかる興南に対し、報徳学園の前評判は決して高くなかった。「奇跡を起こそう」が試合前の合言葉。伝統校のプライドをかけた先制攻撃は、しかし、かえって興南の底力を呼び覚ますことになった。

 「これだけ取られたし、もう取られないでしょ」と開き直ったのは島袋。二回が終わったところで主将の我如古(がねこ)盛次は「春の王者が0対5では帰れないでしょ」と軽口をたたき、仲間を和ませている。大量ビハインドにも誰ひとりとして焦らない興南。三回に捕手の山川大輔が報徳の二盗を阻止したあたりから、流れは春の王者へと傾き始めた。

 興南打線にも意地があった。前年も春、夏と甲子園に出たが、2年生中心の打線はいずれも1桁安打しか打てず、初戦敗退。秋からは練習メニューに「1日千スイング」が加わり、「興南は島袋だけじゃない」と、周囲に思わせるのが目標となった。

 「ストライクは全部打つ」「外角の球を逆方向へ」が大きなテーマ。まず3点を返した五回、2番慶田城(けだしろ)開の2点適時打、3番我如古の適時打はいずれも第1ストライクを打ったものだ。六回にも1点を追加して1点差に迫ると、七回の逆転劇には、このチームの強みが凝縮された。

 七回1死二塁で打席には再び我如古。報徳のバッテリーは恐怖を感じていた。「どこに投げても打たれる気がした」と投手の大西一成。

 やはり初球。外角のスライダーを完璧にとらえた。右中間への同点三塁打。ヘッドスライディングから立ち上がった主将は、思わず突き上げそうになった右の拳をハッとしたように下ろした。「目の前のことに一喜一憂すると、相手に隙を見せるから」

 ここで報徳は投手を1年生の田村伊知郎に交代。すかさず4番真栄平(まえひら)大輝に助言を送ったのは記録員の大湾圭人だ。田村の初球は直球が多いと調べていた。加えて、ブルペンでの投球練習は高めに浮いていた。「初球は高めの直球を狙え」の指示通り、真栄平が勝ち越し打を中前に放ったのだった。

 初球攻撃、逆方向、相手に隙を見せない姿勢に、鋭い観察眼。すべては徹底的にチームとして取り組んできたことだった。

 我喜屋(がきや)優監督は母校の監督になって4年目。沖縄特有の「なんくるないさ(なんとかなる)」というおおらかな気質に目をつけ、「なんとかならないよ」と言い続けた。時間厳守、整理整頓、シャツは第1ボタンも留めるなど、私生活から徹底して鍛え上げた。その成果が、大量ビハインドにも動じない精神力、ここ一番の集中力につながった。

 尻上がりに調子を上げた島袋は八回を3者連続三振。九回も連続三振で試合を締めた。大逆転勝ちの勢いそのままに、決勝は東海大相模(神奈川)を13―1と圧倒。指笛が鳴り響き、狂喜乱舞する観客席へ向け、我如古は言った。

 「沖縄県民で勝ち取った優勝だと思っているので、本当にありがとうございました!」=敬称略(山口史朗)

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