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奇跡のバックホームは重荷だった 17年後、再会の末に

2020年8月19日09時57分

 1996年夏、「奇跡」と語り継がれるプレーが伝統校を絆でつないだ。主人公の一人が熊本工の星子崇。甲子園が沸き返った瞬間、彼は本塁上で灰色の空を仰いでいた。上半身を起こすと、右拳を振り下ろした。

 熊本勢にとって、初の全国制覇は目前だった。

 松山商(愛媛)との決勝、3―3の十回裏1死満塁。本多大介の打球がライトへ舞った。タッチアップを狙う星子が三塁ベースを蹴る。本塁のわずか手前、捕球した捕手のミットとぶつかった。アウト。流れを変えられた熊本工は十一回、3点を奪われ、負けた。

 「本気で走らなかったんじゃないか」と言う人がいたが、違う。返球を後押ししそうな強い風を警戒し、スタートは「正直に言えばライトが捕る前だったと思う。もしアピールされて三塁塁審が認めたら仕方ない」。覚悟を持って全力で走ったからこそ、アウトの宣告が信じられなかった。

 大返球をしたもう一人の主人公、松山商の背番号9、矢野勝嗣は絶対的レギュラーではなかった。

 練習の最後にあるシートノック。誰かが失敗すれば一からやり直しになるのだが、矢野はよくミスをした。ライトが最後に回るポジションだった分、周囲をいらだたせた。「お前がいると練習が終わらん。部をやめてくれ」と、同級生に土下座されたこともある。

 だが、野球でも勉強でも食らいつく姿を仲間は知っていた。「奇跡」の直前の途中出場と約80メートルのストライク返球。どちらも偶然ではない、と主将の今井康剛は思う。「神様って、本当に見ているんだな。努力している人を」。十一回、先頭で二塁打を放った矢野が決勝のホームを踏み、松山商は甲子園で初めて大正、昭和、平成と三つの時代で優勝したチームとなった。

 社会人野球に進んだ星子は、2年目にやめた。腰痛が理由だが、本当は「けがを言い訳に、野球に区切りをつけたかったんだと思う」。熊本の飲食店に就職したが、素性が知れると「アウトの星子」と呼ばれた。野球を遠ざけた。

 テレビ局に務めていた矢野が星子を訪ねたのは2013年末。矢野は「奇跡」の当事者であることが重荷になってきた人生を語った。「俺もお前も、あのプレーを一生背負っていくしかない」と。慰めとは違う、苦しみを分かち合える男の言葉に救われた星子は半年後、熊本市にバー「たっちあっぷ」を開いた。

 あの決勝から20年の16年11月、両校は再び対戦した。4月に大地震が熊本を襲った後、星子の呼びかけで企画は動き出した。

 熊本市の球場に集ったのは当時の選手ら約30人。試合後に行った奇跡のバックホームの再現が、ハイライトだ。本多がライトへ飛球を上げ、星子は三塁ベースを蹴った。20年前の肩の力は38歳の矢野にない。浜風もない。返球よりはるかに早く生還した星子は右拳を突き上げた。「これを、あの時やりたかったんだ」

 野球が嫌いだった。でもこの日、仲間と抱き合い、「楽しかった」と言った。星子コールを浴びて、照れくさそうに笑った。=敬称略(鈴木健輔)

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