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あの日の「美爆音」に憧れて 吹奏楽部で目指した甲子園

2020年8月4日06時50分

 小気味よい太鼓の音に手拍子が重なる。全ての楽器が同じ旋律を演奏し、音がかたまって飛んでくる。

 2019年3月28日の甲子園。七回表、習志野(千葉)の攻撃。3万8千人の観衆の耳と目を奪ったのは、約200人の同高吹奏楽部の「美爆音」だった。

 「レッツゴー習志野」。約30曲あるレパートリーの中でも、好機や終盤に流れる定番曲だ。

 相手は、奥川恭伸投手(当時2年)=現プロ野球・東京ヤクルト=を擁する優勝候補の星稜(石川)。1―1の同点。2死二塁。1番打者の打球は三塁線を抜けた。「逆転の習志野」を体現する一打となった。試合後、敗れた星稜の林和成監督は言った。「吹奏楽部の迫力に押されました」

     ◇

 その男子生徒は、歓喜に沸く応援席にいた。吹奏楽部員の山野慶二君(当時1年)。約15キロの白いスーザフォンを左肩に抱え、ベース音を刻む役割だった。

 指揮者のかけ声に合わせ、普段より深く空気を吸い込む。みぞおちにギュッと力をいれる。グラウンドの選手たちに届くよう強く大きな音を意識すると、「ボーン」と低く深い音が甲子園に広がった。

 「気持ちいい」

 初めての甲子園。1時間52分を短く感じた。ここで演奏するために、習志野の吹奏楽部に入部したのだ。

 元は野球少年だった。小学4年でチームに入ったが、試合にはめったに出られない「へたくそ」だった。それでも、テレビ中継で見る甲子園はあこがれだった。野球は上達せず、中学では友人の勧めで吹奏楽部に入った。中学2年で進路に悩んだ。吹奏楽も野球も「なんか中途半端」。他にやりたいこともなかった。そんな時、ある「音」と出会う。

 中学2年の12月、部活の一環で行った習志野の定期演奏会。耳に飛び込んだのが「レッツゴー習志野」だ。音圧が覆いかぶさってきた。

 「これだ」。小学校のころ甲子園の中継で聞いたあの曲。高校で吹奏楽部に入るか迷っていたが、覚悟を決めた。習志野の吹奏楽部なら、甲子園にも行ける。人生初の目標ができた。

 しかし、全日本吹奏楽コンクール33回の出場を誇る習志野は高校吹奏楽界の強豪だ。周りのレベルは高かった。温かい音、冷たい音、まろやかな音、とがった音。高い表現力を求められた。

 ただ、多くの部員に共通点があった。高校野球が大好きなことだ。夏の大会前の応援練習では、「そんな音、甲子園じゃ聞こえないよ」。甲子園が、厳しい練習を乗り越えるモチベーションになった。

     ◇

 習志野の吹奏楽部は2002年から毎年、千葉大会初戦から全部員で野球応援をしている。ある出来事がきっかけだ。

 00年、神戸市育ちで野球好きの石津谷治法顧問(61)が赴任。自身の高校時代は吹奏楽部の顧問の方針で野球応援ができず、「教師になって、絶対甲子園に行ってやる」と決意していた。

 そんな石津谷さんも、当初はコンクールメンバーはコンクールの練習に集中させ、メンバー以外で野球応援をしていた。

 だが、01年夏の千葉大会準決勝前日。コンクールメンバーの3年生約20人が直談判に来た。「明日、私たちも行きたい」「先生が行くのはずるい」「行かないと一生後悔する」

 真剣な表情に負け、翌日、全部員約150人で球場に向かった。

 この年、野球部は14年ぶりの夏の甲子園出場を決めた。吹奏楽部も、石津谷さんが「今年は難しい」と思っていた全日本吹奏楽コンクールでの金賞を受賞した。

 「音の乗りや勢いが明らかに変わった。広い屋外球場で、遠くまで音を届けようと強く吹き続け、肺活量が鍛えられた。なにより、音に一体感が生まれた」

 今年6月中旬。石津谷さんは3年になった山野君を部室に呼んだ。「野球応援担当は、お前に任せる」

 甲子園はなくなった。8月に始まる独自大会でも、吹奏楽部の応援は難しそうだ。だが、培ってきた「美爆音」の歴史を自分たちの代で途絶えさせるわけにはいかない。山野君が中心となり、今年11月の定期演奏会で本気の「レッツゴー習志野」を披露する予定だ。(福冨旅史)

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