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青森)88歳の元高校球児が球児たちにエール

2020年6月23日11時00分

 朝日新聞などを販売している「ASA八戸中央」(青森県八戸市)に、「手ダコの想(おも)い」と題した1通の手紙が届いた。差出人は88歳の元高校球児、八戸市の類家和吾郎さん。新型コロナウイルスの影響で全国高校野球選手権大会の中止が決まり、気持ちを抑えられずにペンを握ったという。

 1932(昭和7)年、9人きょうだいの五男として生まれた。近所の友達とのキャッチボールなどから野球を始め、47年に八戸工業高校に進学。野球部ではピッチャーだった。

 終戦まもない当時、野球用品は手に入りにくく、部員たちは用具全てをそろえることが難しかった。スパイクの代わりに、わらじをきつく縛ってプレー。革製ではなく布のグラブを使う選手もいた。

 「布のグラブは、痛いんだよ。バットは、先生が久慈町(現在の岩手県久慈市)の知り合いからアオダモの角棒を買って、近くの製材所で作ってもらった。あまり飛ばなかったなあ」

 八戸工は類家さんが3年生になった49年の夏、青森一(現青森北)を決勝で破って県内の頂点に立った。だが当時は、青森・秋田・岩手の上位2チームが集まる奥羽大会を勝ち抜いた1校だけが甲子園に進む仕組みだった。八戸工は1回戦で敗れ、甲子園の夢はついえた。

 卒業後は電電公社や、自動車電話サービスの会社に勤めた。野球に打ちこんだのは、あの夏が最後だったという。

 あの夏からほぼ70年。今でも当時を思い出す。スクイズを外して守りきり、青森予選を制したときの喜び。マウンドの感触、球音、もう亡くなってしまった仲間たち……。

 だからこそ、甲子園大会の中止はショックだった。「自分たちは甲子園に行けなかったが、チャンスは与えてもらった。しかし今回は、チャンスさえもらえない。甲子園のマウンドに立ちたい思いは、この年になってもよく覚えている。現役ならなおさらでしょう」

 類家さんの記憶では、高校3年の秋に、青森、弘前、八戸の選抜選手を集めて、弘前で3年生大会が開かれた。3年間しのぎを削った相手と熱戦を繰り広げた楽しい思い出が、今も胸に残っている。

 どんな形でもいいから、3年生の球児たちに試合をさせてあげたい。そう願っていたところ、県高野連主催の県大会が開かれることが決まった。

 感染拡大防止のため、試合は無観客で行われるが、だからこそグラウンドに響きわたるはずの球音に、類家さんは思いをはせる。

 「キャッチャーミットにボールが入る音。よい当たりの打撃の音。選手たちの声。胸が躍ります」

 手紙には「三年間努力して出来た手の『タコ』。この『タコ』は今までの鍛錬の汗も涙も喜びも皆んな知っている。共に歩んで来た『タコ』とチームメートとの友情は君達の宝物です」とつづった。

 夏の県大会で、3年間の集大成の舞台に挑む球児たち。天国にいる仲間たちと一緒に、球児たちの活躍を精いっぱい応援したいと思っている。(横山蔵利)

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