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高校野球は人生の財産 震災で確信 佐藤仁・南三陸町長

2020年6月9日07時00分

 甲子園の夢がふっと消えた、心に穴があいたような状態だと思います。親御さんも。生活を犠牲にして、子どもと夢を共有していた人が大勢いたでしょう。

 私は1969年、夏の甲子園の土を踏みました。ですが、当時のチームメートと話すのは厳しかった練習のことばかり。当時の監督の口癖は「1日休めば3日遅れる」。365日練習です。甲子園出場は結果に過ぎません。

 東日本大震災の被災地・南三陸町で復興の最前線にいます。2011年3月11日の震災当日は防災対策庁舎屋上で津波をかぶった。一緒にいた43人が犠牲になり、生き残ったのは私を含めて10人だけ。波が引いた町は見渡す限りがれきの山だった。「本当にこの町を再生できるのか」。そう思うと同時に、生き残った意味を考えさせられた。「俺たち、この町を再生するために生かされたんだ」と職員に語りかけました。

 避難所で生活しながら、復興の陣頭指揮を執りました。水もない、電気もない、プライバシーもない。ないないづくしの中、怒濤(どとう)の毎日。避難所運営について、ネット上で中傷に近い批判の書き込みも相次ぎ、精神的にきつい時もありました。なぜ耐えられたか。やっぱり高校野球なんですよ。負けてたまるか!って。3年間で培った諦めない気持ちが前を向かせてくれた。

 もう一つ、高校野球をやってよかったと思わせられた出来事があります。

 69年8月のアサヒグラフの表紙の写真が、御所(ごせ)工(奈良、現御所実)戦で私が本塁に滑り込む場面でした。震災の年の秋、一緒に表紙を飾った御所工の捕手だった方が奈良から訪ねてきてくれた。私が走者だったことを知り、当時の御所工メンバーらから集めた復興義援金を持ってきてくれたのです。高校野球がつないでくれた縁ですよね。

 高校野球が人生の財産になるというのは本当だと思う。私は震災でそれを確信しました。高3の皆さんにも、その瞬間はきっと訪れます。最後の大会はなくなった。でも、あの時の3年間、俺の人生で無駄な3年間ではなかったなって。(聞き手・河野光汰)

 さとう・じん 1951年、宮城県志津川町(現南三陸町)出身。仙台商の遊撃手として第51回選手権大会に八重樫幸雄さん(元ヤクルト)らと出場し8強入り。05年に南三陸町長選で初当選し、4期目。

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