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甲子園決勝、大阪勢は勝率7割 北陸勢は2度目の挑戦

2019年8月22日11時20分

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 22日の第101回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)決勝では大阪代表の履正社と石川代表の星稜が対戦。大阪勢の決勝進出は今回を除くと過去18回あり、うち13勝で勝率は約7割。優勝回数は全国トップに立つ。特に近年は決勝に出れば7連勝、平成時代は5戦負けなしで駆け抜けた。

 戦前はさほど強くなかった。決勝進出は第2回(1916年)の市岡中のみで、これも慶応普通部(東京)に敗れている。史上唯一の3連覇を遂げた中京商(現・中京大中京)の愛知、戦前だけで3度優勝している広島商の広島、戦後最多13年連続の聖光学院(福島)を上回る14年連続出場記録を持つ和歌山中(現・桐蔭)や、海草中(現・向陽)の和歌山などに後れをとっていた。

 初優勝は戦後初めての大会、第28回(46年)の浪華商(現・大体大浪商)だ。甲子園球場が米軍に接収されていたため、西宮球場が会場だった。

 甲子園での大阪勢初優勝は、浪華商から校名を変えた浪商。「怪童」尾崎行雄が引っ張った第43回(61年)で2度目の頂点に立った。第45回(63年)の明星、第50回(68年)の興国がそれぞれ初優勝して続き、大阪は強豪の仲間入りをする。そして高校球史に名を残す2校が台頭する。PL学園と大阪桐蔭だ。

 PL学園は3度目の決勝となった第60回(78年)で初優勝。準決勝、決勝で劇的勝利し、「逆転のPL」の異名を取った。その5年後、桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」で黄金期を迎えた。

 2人が1年だった第65回(83年)は当時15歳の桑田が準決勝で前年覇者の池田(徳島)を完封。決勝でも先輩投手と完封リレーをし、清原も本塁打で援護した。最後の夏となった第67回(85年)では清原が歴代2位の1大会5本塁打を放って優勝。さらにその2年後、主将の立浪和義(元中日)、エース野村弘(元横浜)らを擁し、史上4校目の春夏連覇を果たした。

 平成に入ると大阪桐蔭がとって代わる。第73回(91年)に初出場優勝。1大会史上最多の57打点で制した第90回(2008年)から昨年までの11年間で、実に4度の全国制覇を遂げた。藤浪晋太郎(阪神)、森友哉(西武)のバッテリーを中心とした第94回(12年)、藤原恭大(ロッテ)、根尾昂(中日)を擁した第100回(18年)は選抜も制し、史上初となる2度の春夏連覇を達成している。

 そして大阪桐蔭の壁にはね返されてきたのが、履正社。大阪勢として決勝の初舞台を踏むのは28年ぶり8校目だ。令和元年、新たな時代の幕開けとなるか。(有田憲一)

 ■星稜、2度目の挑戦

 石川勢のみならず、北陸勢としても、決勝まで駒を進めたのは過去1度しかない。今回と同じ星稜で、第77回(1995年)だ。この年の星稜は、後にプロ野球オリックスなどで活躍する2年生エース、山本省吾が石川大会からほぼマウンドを守ってきた。

 帝京(東東京)との決勝では一回、星稜が1点を先取。五回無死一、二塁のピンチでバントとスクイズを続けて防ぐ堅守も見せた。しかし、三回に2点、八回に1点を奪われ逆転負け。山下智茂監督は「新しい歴史を作ってくれた選手に感謝している」とコメントしている。(内田快)

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