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京都)高校野球育成功労賞に義村さん 手探り指導34年

2019年6月11日03時00分

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 日本高校野球連盟と朝日新聞社が高校野球の発展に尽力した人に贈る「育成功労賞」が10日発表され、京都府内からは府高野連副理事長で、京丹後市の府立網野高校教諭の義村浩昭さん(58)=同市=が選ばれた。軟式野球の経験しかなく、手探りで指導を始めて34年。母校でもある同校で部長を務め、あやべ球場で京都大会の運営責任者も続ける。府立峰山高校(京丹後市)を甲子園に導いた実績も光る。

 1985年に福知山市の府立大江高校に英語教諭として赴任した。自身の高校時代は陸上部員。しかし、野球経験者がだれもおらず、中学と京都産業大での軟式野球の経験を買われて監督に就いた。

 大江高校の部員は少なかった。当時、夏の京都大会は18人がベンチ入りできたが、支給される17、18番のゼッケンはきれいなまま毎年たまった。3年生が大会後に引退すると、残るのは9人か10人。監督自ら球拾いも打撃投手もこなした。

 一生懸命やって失敗しても怒らない。だが、集中できていないときは厳しくしかった。監督就任から数年後の守備練習中、送球がそれたときに備えてカバーに入るよう指導したが、何度も入り忘れていた。熱心に聞こうとしていないし、練習に身が入っていないように感じた。

 「気持ちが入らないなら帰れ」。ミーティングで、珍しく厳しい言葉で伝えた。翌日、集中する部員たちの姿があった。

 92年からは峰山高校へ。部長だった99年春、選抜出場を果たした。府北部の高校が甲子園の土を踏むのは、春夏通じて初めてだった。初戦で日南学園(宮崎)に延長で敗れたが、「北部初の甲子園。本当にうれしかった」と振り返る。

 網野高校に赴任したのは2005年。この年、府高野連の副理事長になり、日米親善野球大会や海外遠征で走り回るようになった。選抜チームのマレーシアやシンガポールへの遠征にも同行し、野球人口を広げる活動に力を入れた。

 20年ほど前からは、北部の球場で京都大会の運営責任者を務めている。球場との交渉をはじめ、看護師や誘導係の手配もこなす。

 北部では昨年、京丹後市の府立久美浜高校が部員不足で京都大会に出られず、今年の出場もかなわなかった。義村さんは「子どもが減るなか、少しでも野球をしたい子が増えるよう、魅力ある取り組みや舞台を用意したい。それが私の野球への恩返し」と話す。(高井里佳子)

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