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愛媛)松山商 孤独を理解し合った18回

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2018年12月26日03時00分

 1969年の第51回選手権大会決勝。松山商の井上明さん(67)と三沢(青森)の太田幸司さん(66)が投げ合い、甲子園初の「決勝引き分け再試合」を演じた。2人は今年の第100回大会決勝の始球式で、再び甲子園のマウンドに立った。

 コントロールに自信があった井上さん。日頃の投球練習では故・一色俊作監督が後ろに立ち、「まず20球、全部内角の直球で」。言われたコースに決まらないと練習は終わらなかった。この試合もコースを突いて三沢に本塁を踏ませなかった。

 延長十五回裏、1死満塁。スクイズを警戒して3ボールとなり、次も外れればサヨナラ負けだ。「あっと思った瞬間、目の前にボールが来ていた」。6球目を打ち返され、左手のグラブで倒れ込みながら打球をはじいた。「しまった」。振り返ると、遊撃手の樋野和寿さん(当時3年)が捕球し本塁へ送球。走者をアウトにしてくれた。

 そのまま両チーム無得点で十八回が終了。井上さんは「負けたくないけれど、心の中で『太田がんばれ』と思ってしまう。お互いの孤独や緊張を理解していたんだと思う」と振り返る。

 翌日の再試合、松山商は井上さんと中村哲さん(当時3年)の継投策で4―2と競り勝ち、優勝を決めた。この試合も完投した太田さんは「松商の校歌を聞いても涙一つ出なかった。それくらいやりきった」と話す。

 49年後の夏決勝。2人は始球式で順番に投げ、どちらも本塁手前でワンバウンド。「高校の時より緊張した」と井上さん。太田さんは「同じようにショートバウンド。引き分けですね、今回も」と笑った。(藤井宏太)