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東京)ドミニカ流野球、伝えたい 中大付・阿部君が留学

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2018年12月3日03時00分

 今夏、一人の高校球児がドミニカ共和国に短期留学した。中央大学付属高校(東京都小金井市)の阿部大祐君(3年)。ドミニカはペドロ・マルティネス(元レッドソックスなど)やアルバート・プホルス(エンゼルス)ら多くの米・大リーグで活躍する選手を生んだ国。けがに悩まされ、最後の大会にも出場できなかった阿部君の「野球観」を変える出来事となった。

 中大付は第100回全国高校野球選手権記念西東京大会で3回戦敗退。主将の役目を終えた阿部君は、7月29日~8月13日に首都のサントドミンゴに滞在した。現地で年代別の練習に参加したり、見聞きしたりしたことは驚きの連続だったという。

 日本の高校生にあたる世代の練習。選手たちはガムをかみながら、個人でウォーミングアップに取り組んでいた。日本では「定番」の声出しも、集団走もしない。練習は長くても半日で終了。素振りや筋力トレーニングなどはしていなかった。試合では、投手はたとえ無安打で抑えても3回で降板していた。犠打も1試合に1回しかなかった。

 特に練習時間の短さに衝撃を受けた。日本の高校では休日は終日練習が当たり前だからだ。「目の前の試合に勝つよりも10年後、大リーグで活躍することが大事。けが防止のためだ」と現地の指導者。逆に「なぜ日本人は長時間練習するんだ」と聞かれ、阿部君は答えに窮した。

 「日本は甲子園、甲子園と目の前の試合を中心に考える。選手目線の指導も必要だなと考えさせられた」と阿部君は振り返る。

 自身は、けがに苦しんだ野球人生だった。小学2年で野球を始め、中学3年のとき、球を投げるとひじに痛みを感じる「野球ひじ」に。中学最後の試合は右翼手で出場したが、下手投げで打球を返球した。高校2年で今度は右肩に痛みが生じ、バットも振れなくなった。最後の西東京大会も選手として出場できず、「主将として情けなかった」。

 自分と同じ思いをする選手を減らしたい――。あるとき、大阪府の少年野球チーム「堺ビッグボーイズ」の阪長友仁さんがドミニカ野球を提唱する新聞記事を目にした。記事では「ドミニカ野球は選手が能動的に練習し、先を見据えた育成を重視している」とされていた。ドミニカ野球に興味を持ち、本を読んだり、阪長さんに話を聞いたりした。

 「ドミニカで野球を学び、将来、ドミニカ野球を日本に広げたい」と文部科学省など主催の留学制度に応募。採用され、今回の留学が実現した。

 滞在中、韓国人や米国で野球を指導している日本人にも出会った。「世界各地の野球を学び、新しい指導法を確立したい」。将来は日本で世界各国の指導法を広める活動をしたいと考えている。「同じ野球でもいろいろな練習方法があることを伝えたい」。大学進学後も野球を学びに、世界を飛び回るつもりだ。(滝口信之)