メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

宮崎)スリランカの教え子、U18奮起 JICAで指導

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • メール

2018年9月6日03時00分

 6千キロ離れた南アジアの野球少年たちのプレーがまぶしかった。宮崎市で開かれているU18アジア野球選手権。後田(うしろだ)剛史郎さん(40)=宮崎大職員=は出場国のスリランカで約15年前、国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員として野球を教えた。当時の教え子がスリランカ代表の監督、コーチになって活躍する姿に、「スリランカでの2年間は無駄じゃなかった」と目を細めていた。

 「ガハンナ!(打て)」。4日夜、サンマリンスタジアム宮崎であったスリランカと日本の試合。後田さんはスタンドから現地の公用語シンハラ語でスリランカチームに声援を送った。選手たちは慣れないナイターに苦労したが、ファインプレーを見せるなど観客を沸かせた。

 試合は0―15で敗れたが、パティラージャ・アミラ監督(33)は「剛史郎さんがいる宮崎で試合ができてうれしかった。教わったことを今は次の世代に伝えている」と笑顔で話した。

 後田さんが代表チームの監督としてスリランカに派遣されたのは2004年。現地では野球はマイナースポーツだ。スリランカ野球・ソフトボール協会によると、人口約2千万人に対し当時の野球人口は1千人以下。専用球場は無く、人気のクリケットやサッカーのグラウンドで練習した。

 後田さんが通ったグラウンドではこぶし大の穴から体長50センチを超えるオオトカゲがのぞいていた。野球道具も不足。グラブはビニールひもで修理し、サッカー用スパイクを代用することもあった。

 代表チームとはいえ、国際大会への参加費用は原則、選手の自己負担。選手たちは練習の合間、支援してくれるスポンサーを探した。06年にパキスタンであったアジアカップでは、節約のためにパキスタンの砂漠などを列車で20時間かけて移動。窓が開いたままの3等車で砂ぼこりを浴び続け、当時20歳でエースだったアミラ監督は体調を崩し、試合で途中降板した。

 恵まれた環境ではなかったが、野球を学ぶ選手たちの目は輝いていた。日本人同士で併殺時の送球の手本を見せると、つぶさに観察し細かい動作まで丁寧にまね、上達していった。「日本のようにプロ野球中継もなく、教材は目の前にしかない。貪欲(どんよく)に練習に取り組んでいた」と後田さんは振り返る。

 後田さんが退任した後も、計約10人の日本人が現地に派遣された。12年には、最初にスリランカに派遣された第1次野球隊員の植田一久さんら日本からの援助を受け、野球専用球場がコロンボに造られた。日本からのバットやグラブの寄付で裾野は広がり、現在の野球人口は約4千~6千人に増えた。昨年は西アジア大会で優勝を果たすなど実力もついてきた。

 後田さんは「50年後には日本と肩を並べられる」と期待を寄せつつ、こう続けた。「世界に野球を広げることが縮小傾向にある日本野球の底上げにもつながる」(松本真弥)