メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

KANOから金農へ 農業高校83大会ぶりの決勝進出

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • メール

2018年8月20日18時48分

 1924年の第10回大会に合わせて完成した阪神甲子園球場は、戦争の悪化により全国大会が中止された第27回(41年)と、終戦直後で米軍に接収されていた第28回(46年)を除いて89大会の舞台となってきた。

 内野部分の黒土の配合を決めたのは阪神電鉄の用度課に務めていた石川真良(しんりょう)。旧制秋田中(現秋田高)―慶大の野球部で投手として活躍し、米国にも遠征した経験を買われた。秋田中が第1回大会(1915年)で準優勝した際には、母校のコーチもしていたそうだ。

 その後は藤本治一郎、辻啓之介といった名キーパーによってグラウンドは丁寧に整備され、そのノウハウと精神は現在の阪神園芸へと引き継がれてきた。68年9月に設立された同社は、今年で50周年を迎えた。

 大会中にまとまった雨が降らなかった今年は、五回終了時に整備カーを使わないなど、グラウンドの乾きを防ぐ工夫を続けてきた。準決勝は2試合とも整備カーを出動させた。同社の甲子園施設部長、金沢健児は「日差しが強くないし、2試合なら車を使った方がいい」と判断したという。そのさじ加減もプロの技だ。

 そんな球児の聖地も、戦時中は芋畑になった歴史を持つ。台湾の嘉義農林出身でプロ野球阪神に所属した呉昌征が、学生時代に学んだ技術を生かして畑作りを指導したという。

 金足農の決勝進出は、農業系の学校としては、その嘉義農林の第17回(31年)以来83大会ぶりとなる。=敬称略(編集委員・安藤嘉浩)