メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

愛知)地方大会で敗れた球児たちの「この夏」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • メール

2018年8月22日03時00分

 第100回全国高校野球選手権記念大会は21日、大阪桐蔭(北大阪)の優勝で幕を閉じた。全国3781チームが頂点を目指した今大会。甲子園での熱戦が続く中、地方大会で敗れた球児たちは、この夏、次の目標に向かって一歩を踏み出していた。

 知多翔洋の石浜颯人君(3年)は東愛知大会後の7月末、静岡市の病院に入院。病院のテレビで甲子園の試合を観戦した。高校野球を支えに闘病を続ける。

 高校1年だった2017年1月、授業中に倒れた。原因不明の脳炎だった。

 それでも、伊藤仁監督は「やめないでいい」と言ってくれた。体調が良い時は練習や試合にも出た。

 東愛知大会は背番号20。ベンチで声援を送り続けた。チームは3回戦、岡崎工に敗北。伊藤監督に「病気でも試合に出させてくれてありがとうございます」と感謝を伝えた。

 9月初旬に一度退院、自動車整備の専門学校を受験した後、学校と相談しながら治療を続ける予定だ。「病気でも最後まで野球を続けられて、挑戦する力や忍耐力が身についた」

     ◇

 故郷を離れて得たのは、礼儀や仲間との絆だった。

 半田工の中村拓哉君(3年)は、離島の篠島出身。担任や親に勧められて島を離れ、一人暮らししながら背番号1を背負ってきた。

 島では、敬語をほぼ使わなかったが、半田工では目上の人に敬語を使う。「何も知らない」と気づかされた。スランプに陥った時は同級生が手作りの料理をくれたり、家に遊びに来てくれたりした。

 「支えてくれた人に感謝し全力で投げる」と臨んだ東愛知大会の初戦は、タイブレーク戦で惜敗した。

 その日の夜、2カ月ぶりに篠島へ。「大人っぽくなったな」と家族や友人に言われ、うれしかった。

 現在は就職活動の準備中。稲生誠司監督と投球マシンを直したことを機に、製造業に関心を持った。「島は静かであったかいけど、島を出たからたくさん経験を積めた」

     ◇

 岡崎城西のエースだった中井大和君(3年)は、父で同校監督だった秀雄さんとともに、この夏、高校野球を終えた。

 豊橋工との初戦、大和君は12奪三振、被安打1と好投。だが、スクイズで奪われた1点が決勝点に。秀雄さんは今夏で監督を退く。「勝たせてあげたかった」と泣き崩れた。

 「昔は会話らしい会話はなかった」と秀雄さん。「監督と選手」になってからはなおさらだ。秀雄さんは「周りに認められないと使わない」と繰り返し、大和君は「父というより監督という意識が強かった」。

 野球を続けたい大和君は夏の敗戦後も、甲子園などで観戦。投球練習も続け、親子で野球の話をすることも増えた。「上で経験を積む」と言う大和君。秀雄さんは「4年間続け、大学の期待に応えなさい」と厳しくも温かく見守る。

     ◇

 今大会注目左腕の天白・岡本朋大君(3年)は、140キロ近い速球と多彩な変化球を武器に、ノーシードから8強入りの原動力となった。引退後はすぐに受験モードに切り替え、夏休みは1日最低12時間は勉強しているという。

 今夏は4回戦で春の県大会優勝の誉を完封。準々決勝では愛工大名電を九回2死まで追い詰めたが、延長戦で惜敗した。それでも、「想像よりはるかに健闘できた」と振り返る。

 中学時代、強豪私学からの誘いもあったが、「野球だけの生活にはなりたくない」と天白に進学した。入学後は学年上位をキープ。今は国公立大の工学部をめざしている。

 「周りの受験生に遅れをとっているので危機感だらけ。野球も勉強も、基礎の繰り返しが大切」。志望校に合格したら、大学でも野球をやるつもりだ。(江向彩也夏、竹井周平)