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島根)甲子園「世紀の落球」 かけがえない思い出に

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2018年8月18日03時00分

 8年前の夏の甲子園で、「世紀の落球」として今でも語りぐさになっているエラーがあった。九回2死まで仙台育英(宮城)をリードしながら、センターの落球によって開星(島根)は逆転負けを喫したのだ。思い出したくない失敗だとは思いながら、当時のセンター本田紘章(ひろあき)さん(25)を訪ねると――。

 本田さんは、松江市の島根トヨペット松江店で自動車のセールスをしている。当時の状況を尋ねると、懐かしそうに話し始めた。

 そのフライは、決して難しいフライではなかった。この1球を、いつも通りにグラブに収めれば、3アウト。勝利は目前。だから、なのか……。

 「捕ってから考えればいいことを捕る前から考えてました」

 5対3と開星がリードして迎えた九回表の仙台育英の攻撃。2死となった場面で、本田さんの頭には早くも、整列して校歌を歌う自分たちの姿が浮かんでいた。「アルプスにあいさつしたら、宿舎に帰って、こっそり持ち込んだテレビゲームをして――」。

 そんな想像をふくらましている内に、安打や死球などで1点を奪われ、2死満塁に。一打逆転のピンチだったが、「まあ大丈夫だろう」と思っていた。相手バッターが、本田さんがいるセンター方向にフライを打ち上げた。「山陰のジャイアン」ことマウンドの2年生エース・白根尚貴選手(25、現DeNA)は勝利を確信し、ガッツポーズ。

 強い風も計算に入れて落下点に。捕れたはずだった。しかし、グラブに入った感触がなく、下を見たら、ボールが……。

 「これは夢か」

 スコアボードを振り返ると5対6の数字が見え、気づくとライトの選手に肩を支えられていた。

 本田さんが野球を始めたのは小学3年生のとき。目立つ選手ではなかった。ただ、守備だけはうまかったので、開星に進んでからは、いつか守備要員としてでも試合に出られたらとは思っていたという。

 1年の冬場に筋トレで体重を10キロ以上増やし、長打力をつけた本田さんは、春のセンバツのメンバーに抜擢(ばってき)された。公式戦初出場初先発の甲子園で逆転タイムリーを放つなど、相性のよさを感じてもいた。その甲子園で、それも得意なはずの守備での痛恨のミスだった。

 その仙台育英戦、ドラマは続く。九回裏、1点を追う開星は2死一、二塁の好機を作る。打席には糸原健斗選手(25、現阪神)。フルカウントからの鋭い打球は左中間へ。「抜けた。サヨナラだ」と、手を上げて喜ぶ開星の選手たち。しかし、レフトが飛びついてキャッチ。相手のファインプレーで、開星の夏は終わった。

 試合後、糸原選手から「落としたくて落としたんじゃないもんな」と声をかけられた本田さん。「泣きそうになりました」という。松江市の自宅に帰ってからは、ほとんど外に出ることができなかった。

 それからおよそ1週間後の夏休み、体育祭の準備のためにおそるおそる出向いた学校に、本田さんを責める人は誰もいなかった。

 「いい仲間やと思いましたね」

 秋になると落球は笑い話になっていく。引退後も練習に参加していた本田さんのところにフライが上がると、糸原選手たちが「フライいったぞ! 大丈夫か?」。小・中と同じチームで仲の良かった、1学年下の白根選手からは「大学では落とすなよ」。

 本田さんは、大阪体育大学に進学し、全日本大学野球選手権大会にも出場。大学では落球することはなかったという。卒業後は松江市に戻り、休みの日には草野球を楽しむ。当時の失敗は、かけがえのない思い出に変わっている。

 本田さんは「最後の最後まで何が起こるかわからんよ」と振り返る。だから、と言って、こう続けた。「車のセールスの話をしても、契約のハンコを押してもらうところまで、『最後まできちんと』と思いますね」(内田快)