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日本一も初戦敗退も同じ夏の記憶 約3700チーム去る

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2018年7月27日21時24分

 ■Timely 安藤嘉浩

 100回目の夏、地方大会が大詰めを迎えている。

 第100回全国高校野球選手権記念大会は27日までに史上最多の56代表校のうち、43代表校が決定した。

 一方で、全国の参加3781チームのうち(連合チームの内訳を数えた校数は3920)、約3700チームがすでに敗退したことになる。

 「ぼくみたいに1回戦で負けた選手と、我々の世代で唯一負けなかったチームの選手が思い出を共有できる。高校野球のいいところだよね」と話していたのは、プロ野球広島で通算148勝138セーブをあげた大野豊さん(62)だ。出雲商3年の夏は島根大会1回戦で敗退している。

 同じ1973年夏の第55回記念大会で全国制覇を果たしたのが広島商だった。その正捕手がのちにプロで長くバッテリーを組んだ達川光男さん(63)=現ソフトバンクヘッドコーチ。紙面企画で対談してもらったときの発言だ。

 あの夏の思い出はさらに、世代を超えても共有される。

 100回大会を記念して21日にあった感謝祭。東北(宮城)OBの佐々木主浩さん(50)が「ぼくのあこがれだった」と打ち明けたのが第61回大会で4強入りした浪商(現大体大浪商=大阪)のエース、牛島和彦さん(57)だ。その2年後に報徳学園(兵庫)のエースとして全国制覇を果たした金村義明さん(54)も「格好良くて投球フォームをまねした」と応じ、思い出話は盛り上がった。

 達川さんは「60歳を過ぎたら、野球より病気や薬の話ばっかじゃ」とおどけたが、それでも色あせないのが、白球を追った夏の記憶のようだ。

 100回目の球児たちの思い出も、これから甲子園で繰り広げられる熱闘とともに、長く共有されることだろう。

 忘れてはならない出来事もあった。西日本豪雨の被災地ではボランティア活動をしながら夏を戦った球児がいた。「どんな状況も克服し、それを乗り越えて挑戦します。それが野球だから」。広島大会で選手宣誓した安芸南・田代統惟(とうい)主将の言葉が胸に響いた。

 記録的な猛暑の影響で熱中症になる選手、観客も相次いだ。京都大会は準々決勝で第3、4試合の開始時間を2時間半遅らせ、午後4時から2試合を実施した。気温が高くなる時間帯を避けるためだ。甲子園大会を含めた猛暑対策の参考になる対応だった。(編集委員・安藤嘉浩)