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「闘志燃やしたのに」甲子園の土、最初は川上哲治さん?

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2018年7月4日14時17分

 高校球児が甲子園で土を持ち帰る。すっかり定番となったシーンだが、誰が始めたのだろう。そして、土はその後どうしているのだろう。

 ルーツとされる1人が、熊本工出身で「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治さんだ。1937年の夏の甲子園に出場した際に土を持ち帰ったとされる。

 川上さんから直接、その話を聞いた人が熊本県荒尾市にいる。東川弘さん(74)。自身も熊本工で投手として活躍し、卒業後はトヨタ自動車でプレー。引退後は働きながら母校の練習を手伝っていた。

 川上さんと会ったのは74年。巨人の宮崎キャンプを訪れたときだった。

 東川さんはその数年前、川上さんがかつて甲子園の土を持ち帰っていたと知り、その土をどうしたのかがとても気になっていた。たまたま、川上さんの後輩にあたる高校時代の恩師が巨人のキャンプに行くと聞き、時期を合わせて宮崎へ向かった。

 対面を果たしたのは宮崎入りした1日目の夜。恩師ら熊本工野球部の先輩たちのつてで川上さんの部屋に通された東川さんは、互いにどてらに浴衣姿でテーブルを囲み畳に座った。川上さんに名刺を渡し、しばらくして切り出した。「持って帰った甲子園の土は、どうされたんですか?」

 「熊工のグラウンドにまいた」。間髪入れずに答えが返ってきたという。

 この逸話は「全国高等学校野球選手権大会50年史」(朝日新聞社、日本高校野球連盟発行)にも収められている。

 37年8月、熊本工と中京商の決勝戦。3点を追う熊本工は九回に1点を返しなお2死一、二塁。だが、川上さんの前の打者が打ち取られ、試合は終わった。その場面を川上さんが回想し、つづっている。

 《打順が回ったら今度こそ打とうと思って闘志を燃やしていたのだが……。私は記念に甲子園の「土」を袋に入れて持ち帰り、熊本工のマウンドにまいた》

 土の持ち帰りについては、戦後間もない頃に夏の選手権大会で連覇を果たした小倉高校(福岡県)の選手がルーツとする説もあるが、それより10年ほど前の話として川上さん本人から聞いたという東川さんは「川上さんが土を持って帰った最初の人だ。真実を知ってほしい」と強調する。

     ◇

 高校球児たちは、持ち帰った土をどうしているのだろうか。

 夏の甲子園に出場経験のある九州学院の坂井宏安監督(61)は「最近見ていない。実家にある」との回答。一塁側にいて、新しく盛られていた土をひとつかみしたという。そのときどういう気持ちでいたか尋ねると「あまり覚えていない」と言い、「儀式だから」と答えた。

 1996年、「奇跡のバックホーム」で知られる松山商との決勝を戦った熊本工で、記録員としてベンチ入りした高波恵士さん(39)はスパイク袋に土を入れて持ち帰った。「小さい頃から野球をやってきて、3年の夏で甲子園に行くのは夢だった。ベンチに入れる人数は限られているし、いろんな思いが込められていたと思う」と振り返る。

 取った土は小びんに入れて友人たちに配った。ただ、スパイク袋に入れたまま自宅のげた箱の上に置いていた残りの土は、気づいたら母親が植木鉢に入れていた。「結局、持って帰ったところで、ってことですかね」と笑った。

 昨春の選抜高校野球で甲子園に出場した熊本工3年丸山竜治主将は、土は持ち帰らなかった。「もう1回来たいから、と思い誰も持って帰らなかったと思う。(持ち帰るなら)やっぱり夏かな」

 さて、今年は誰が甲子園の土を踏むのか。4日、熊本大会の試合が始まる。(杉山歩)