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高知)安芸、「次の塁へ」が裏目に 1994年夏

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2018年7月12日03時00分

 大舞台はすさまじい重圧にさらされる。極度の緊張の中で実力を発揮するにはどうすればよかったのか。

 「なぜ走ったのか、今でもわからない」

 1994年夏の高知大会決勝。ともに初の夏の甲子園出場をかけて安芸と宿毛が激突した。安芸の主将だった有沢和則には、今も悔やむ走塁がある。

 安芸が4点を追う八回表、2番有沢は2球目を右翼線に運び、2点をかえす。すぐに2盗を決め、無死二塁と好機は続いた。

 「あと2点で同点や。つないでいけばいい」。2点適時打を放ち、積極的な走塁を見せた有沢は二塁で高揚感に包まれていた。だが同点に向け、慎重で冷静な判断が求められる場面だとわかっていた。

 次打者の打球はライトへ飛球になった。右翼手は定位置でグローブを構えた。「タッチアップは無理なタイミングだな」

 差は2点。無死。次打者には中軸が控え、走者をためておくことがセオリーだ。無謀な走塁は避けなければならない。

 だが、右翼手がキャッチした瞬間、有沢は頭が真っ白になり、走り出していた。観客席もどよめいた。

 無我夢中に駆けた。ベースの2メートル手前、スライディングの体勢に入った有沢を、後ろから飛んできたボールが追い越した。

 「アウト」。塁審が腕を振り上げるのが見えた。

 この試合、最後の大きなチャンスはついえた。

     ◇

 48年ぶりに県立校同士の決勝戦となった。この年、安芸は春の県予選1回戦で敗退している。監督の柴原享一は「夏はベスト8にいければ十分」。そう臨んだ大会だった。

 だが安芸は快進撃を見せる。エース岡西栄治が好調で決勝まで駒を進めた。長打力のないチームは「つなぐ攻撃」を重視し、次の塁を狙う走塁も徹底させた。

 準決勝の明徳義塾戦は攻めの意識が奏功した。1点差を追う八回表、三遊間を抜けた浅いレフト前のゴロで、二塁走者の安丸達也が一気に本塁生還。暴走気味に見えたが、結果としてこの走塁で勢いづき、優勝候補を破る大金星になった。

 決勝戦進出を決め、安芸の選手は、決勝の相手が決まる宿毛と高知の準決勝第2試合を観戦した。宿毛の勝利を見届けると、岡西は安丸と思わず握手した。古豪の高知に勝てるイメージは湧かないが、宿毛とは練習試合で勝っていた。

 甲子園を強く意識し、好調だった岡西の投球が変わった。岡西は「それまでとは天と地の差だった」。岡西は一回裏、先頭打者を打ち取るが、その後連打や捕逸、暴投などで2点を失う。二回も1失点。序盤に主導権を握られた。

     ◇

 八回、有沢が三塁でタッチアウトになった後、次打者の4番岡西が中前安打を放った。試合の流れは変わっていたかもしれない。監督の柴原は有沢の走塁を「次の塁を常に狙うのはチームのスタイル。とがめることはない」と言う。

 攻撃的な走塁が持ち味のチームの中で、有沢は沈着さに自負があった。八回は上位打線に打順が回る。焦らず攻めるべき場面だった。「決勝じゃなかったら走っていない」。大舞台に冷静さを失っていた。

 前日の夜、有沢はよく眠れなかった。決勝進出に興奮したのではない。夢にまで見た、甲子園でプレーする自分の姿を想像していたからだ。「目の前の試合で普段通りプレーする準備が必要だった」=敬称略(加藤秀彬)