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投手志望だった山崎武司さん 名電で「熟睡の記憶ない」

2018年6月28日12時30分

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 ■元中日・山崎武司さん(愛工大名電出身)

 小学2年生の時に地元・知多市のチームで野球を始めました。最初は外野で、高学年から捕手に。周りより体が大きかった。その頃から中学卒業まで、自宅で1キロのバットを毎日振っていたのですが、振る力が養われたんだと思います。

 中学の野球部でも「4番捕手」でしたが、実は中学通算本塁打はゼロなんです。最後の夏も地区予選1回戦で敗退するようなチームで、実績はこれっぽっちもありませんでした。

 当時からプロ野球選手になりたくて、高校は「私学4強」の中でもプロを多く輩出している印象が強かった名電に行きたかった。誘いなんて当然来ていません。たまたま兄が名電で教育実習をしていた縁を頼って、セレクションを受けられて、運良く合格できました。兄には感謝ですね。

 名電に入ると、周りは名の知れた選手ばかりで、最初は声出しと球拾い。でも肩と長打力には自信があったので、「いずれ見とれよ」と気持ちは強く持っていた。1年秋から捕手でレギュラーになり、自分たちの代では主将を務め、通算56本塁打を打ちました。

 実は高校では投手をやりたかったんです。遠投は120メートルで自信はあったのですが、当時の中村豪監督は「やらんでいい。お前は打つ方でいけ」と。打者の適性を見抜いてくれていたのかな。投手だったらどうなっていたか(笑)。

 高校時代には2年夏が決勝、最後の夏は5回戦で、いずれも東邦に敗れた。春夏とも甲子園には出ていません。それでも、名電では長所を伸ばしてもらえたし、あれ以上厳しい練習や上下関係はない。寮生活で先輩がいたときは熟睡した記憶はないし、手すりを使わないと階段の上り下りができないくらい体を痛めつけていましたから。戻りたくないけれど、貴重な経験ですね。プロに入ってからもつらい時はあの頃を思い出して頑張っていました。

 今年は100回で2校が甲子園に行ける。西愛知には私学4強が入りますが、他の学校は名前負けしちゃいけない。高校生の年頃は心の持ちようでパフォーマンスが変わりますから。逆に私学4強は「なめられてたまるか」とプライドを持って戦ってほしい。

 色紙に「練習あるのみ!」と書きましたが、実は僕は練習が嫌いでした。だからこそ「自主練習でやればいいや」ではなく、全体練習では人一倍集中し、その時々で「必要だ」と思った練習はどんなに疲れていても絶対にやっていた。「選択と集中」じゃないですが、僕が40代半ばまでプロでやれた要因です。「これだけやったから大丈夫」と思って試合に臨めるのが大切。頑張ってください。(竹井周平)

     ◇

 やまさき・たけし 知多市出身。愛工大名電から1986年のドラフト2位で中日入団。プロ通算403本塁打の長打力が魅力。2007年(楽天時代)には38歳で本塁打と打点の2冠に輝き、「中年の星」と評された。13年に引退し、現在は野球解説者。

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