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大阪)第40回大会 大阪大会初のナイター

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2018年6月13日03時00分

 1958年7月27日。日没が迫る中、日生球場のグラウンドが明るく照らし出された。3回戦の桃山学院―岸和田産戦は大阪大会で初のナイターになった。

 両者一歩も譲らない投手戦。だが五回に照明が点灯し、試合も動き出す。

 六回、桃山学院の野手が三ゴロをはじいた間に、岸和田産の三塁走者がホームインして先制。写真は七回、1点リードした岸和田産がスクイズに成功し、追加点を挙げた場面だ。

 翌日付の朝日新聞は、「初のナイター 岸和田産 桃山を降す」という見出しで、「“カクテル光線”に照らし出されたダイヤモンドに熱戦を展開、スタンドを埋める観衆の拍手を浴びた」と伝えている。

 日生球場にはこの年、ナイター照明塔が設置されたばかりだった。試合はこの日最後の5試合目。原則1日2、3試合の今と比べると、当時の試合数は多い。

 府高野連の伊原登理事長(67)は「打球が飛びにくい木製バットの時代。安打が少なく、大半の試合が2時間以内に終わっていたから、1日5試合が可能だったのだろう」と説明する。

 今夏、大阪大会で使われる8球場の中で、屋外のナイター設備があるのは住之江、南港中央、シティ信金スタ、豊中の4球場。大会規定では、「夜間照明の設備がある球場では、試合途中で日没になれば照明をつけて試合を続行することができる」と定められている。

 その大前提は「昼間試合を原則」とする一文だ。伊原理事長は「選手にとってナイターは記念になるかもしれないが、明るい日差しの下でやるのが高校野球です」。(坂東慎一郎)