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三重)KK世代の高校野球ファン 母校の初勝利に興奮

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2018年6月14日03時00分

 PL学園の清原和博選手、桑田真澄選手が3年夏で躍動した1985年。三重代表の海星は甲子園で初勝利をつかみ、アルプス席は全校を挙げた応援で盛り上がった。当時3年だった永瀬裕司さん(50)=三重県鈴鹿市=の記憶は鮮明だ。「抱き合って喜んだ。興奮して校歌も早く歌い終わってしまった」

 父は週刊朝日の高校野球特集号を昭和30年代から保存するほどのファン。永瀬さんも子どもの頃に甲子園に連れられてきたが、「当時は暑くて嫌でした」。

 小学生でソフトボールは経験したが、強豪の海星野球部に入ろうとは思わなかった。でも、合宿に明け暮れる同級生が間近にいた。夏の大会前は音楽教諭から、校歌や応援歌の指導を受けた。「仲間が甲子園で頑張って、自分も一緒に野球をした気持ちになった」

 愛知県の大学に進んでからも野球熱は高まるばかり。当時、プロ野球中日の本拠地だったナゴヤ球場で売り子のバイトになった。海星の同級生、北野勝則選手が入団していた大洋(現DeNA)の応援団に「同級生の北野をよろしくお願いします」と声もかけた。

 鈴鹿市の会社に入社後も母校に声援を送り続けた。96年の第78回大会2回戦、海星は逆転サヨナラ本塁打で早稲田実を破った。「仕事を終えて急いで家に帰った。テレビの前で校歌を歌いました」

 一時東京に転勤して、甲子園とは縁遠くなるが、三重に戻った後の2004年ごろから毎年のように高校野球に足を運ぶようになった。

 07年、引き分け再試合となった宇治山田商―佐賀北も、佐賀北の優勝も甲子園で観戦した。甲子園や三重大会だけでなく、他の地方大会にも足を運ぶ。妻や娘と行くこともあれば、20歳も年が離れた同僚と観戦することもある。「どの世代と行っても、どこの地方に旅行しても、高校野球は話が膨らむんですよ」

 昨夏は休みを利用して、5日間を甲子園で過ごした。趣味の家庭菜園も夏の間はほったらかしだ。「選手がひたむきにプレーをして、親も一生懸命に応援する。高校野球には色々な思いが詰まっている」

 「KK世代」の一人として、33年前に甲子園で得た感動は今も変わらない。

 「僕は永遠の海星ファン。再び母校に甲子園に行ってもらいたいし、夢は三重代表の全国制覇です」(広部憲太郎)