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千葉)千葉経大付、ダルビッシュから決勝打 04年夏

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2018年5月17日03時00分

 2004年夏。千葉の高校野球史に新たな1ページが刻まれた。その3年前に監督に就任した松本吉啓(59)率いる千葉経大付が千葉大会で初優勝。選手権大会では初出場ながら4強入りした。特に語り継がれているのが、大会屈指の右腕ダルビッシュ有(31)=米大リーグ・カブス=を擁する東北(宮城)を破った3回戦だ。

 朝日新聞は昨年、ファン投票で各都道府県の「甲子園ベストゲーム」を選定。この一戦が千葉の1位に輝いた。出場した選手と監督は当時、何を思い、その後どんな人生を送ったのか。3回にわたって紹介する。

 ■「無心で」最高の瞬間

 「生で見るダルビッシュ投手は迫力があった」。あの夏を、河野祥康(よしやす)(31)は笑顔で振り返る。

 同点で迎えた十回表2死二塁。打順が回ってきた河野は、ベンチで采配を振るう松本に目を向けた。自身は九回から代打・香取佑太郎の後の守りに入った控え選手。「監督はまた、代打を出すかも知れない」。だが、松本は打席を指さし、「おまえが行け」。思わず武者震いをした。

 相手は身長195センチ、最速150キロの剛腕。「見逃し三振だけは避けよう」。必死で初球の外角直球を振り抜くと、ダルビッシュのグラブをすり抜けた。一塁に駆け込むと、二塁走者が本塁に滑り込むのが見えた。判定はセーフ。その後、仲間の安打で自らも3点目のホームを踏んだ。

 「みんなの期待が伝わってきて、それで打てた」。翌日の朝日新聞は、河野のそんな言葉を掲載した。

 大網白里市出身。小学3年で野球を始め、中学では軟式野球部でプレーした。進学先を悩んでいた時、塾の先生に「監督が代わって強くなってきているらしい」と千葉経大付を紹介された。自分の力を試したくて、迷わず進学を決めた。

 だが、現実は厳しかった。「一塁手をやってみろ」と松本に言われて内野の守備に励んだが、公式戦には一度も出られずに3年の夏を迎えた。千葉大会では後半の守備固めで何度か途中出場したが、打率はゼロ。ダルビッシュからの決勝打は、野球人生で最高の瞬間だった。「無心で振った。本当にうれしかった」

 卒業後は父と同じ警察官の道を歩んだ。警視庁の機動隊で、国会や首相官邸の警備に奔走する毎日だ。

 警視庁の野球部でも4年間プレーした。今、コーチとして後進を育てながら、あの日々に学んだことを思う。「視野を広く持つこと、チームワークを大切にすること。高校野球で学んだことが、今の仕事につながっています」=敬称略(松島研人)