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元木世代のライバル物語 大越「バットをへし折ろうと」

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2018年5月17日22時03分

【動画】元木大介さんと大越基さんが対談=北村玲奈撮影

 年号が平成に変わった1989年はバブル時代まっただ中。甘いマスクで人気を集めたのは、強打の上宮(大阪)の4番元木大介だった。選抜大会は準々決勝で仙台育英(宮城)のエース大越基から本塁打を放って5―2で勝ち、準優勝に。両校は夏の第71回全国選手権大会でも同じ準々決勝で対戦し、今度は大越が10―2で雪辱を果たす。2人は29年前を振り返り、成長のためのライバルの存在を強調した。

 ■同世代トーク 1971年度生まれ

 大越 高校野球が終わって、こうやって2人で話すのは……。

 元木 初めてじゃない?

 大越 違う、違う。2000年の(プロ野球)日本シリーズ。

 元木 おお、ON対決(ダイエーの王貞治監督と巨人の長嶋茂雄監督)の時ね。

 大越 互いにそれぞれのチームの選手で、その試合前以来。

 元木 甲子園で戦って、こうやって話ができるのは幸せだね。夏の甲子園後の日本代表で一緒になって、仙台育英のユニホームを着て写真を撮ったよ。

 大越 僕も上宮のユニホームを着た。その写真は実家にある。

 元木 オレもある。(初対戦は選抜準々決勝。六回に逆転の右越え2点本塁打)。大越は球が速いイメージがあった。振り遅れが入った。ラッキーだった。

 大越 打たれるべくして打たれた。元木は懐が深いんですよ。捕手のサインは内角だけど、投げたらレフトスタンドに放り込まれるイメージ。だから外角一辺倒になってしまった。元木が4番を打っている上宮打線もすごかった。

 元木 試合前、控え投手に「オレがホームランを打ったあと横に座れよ。テレビに映るから」って言ってたなあ。監督には内緒だったけど。よくホームランの後にスタンドに手を振っていたのは、ベンチ入りできなかった3年生に振った。打ったぞってね。

 大越 選抜は2―5だったけど、2―12ぐらいでめった打ちにされた気分。夏にまた対戦したい、練習しようと本気で思った。レフトに放り込まれるイメージを拭い去るのに内角を徹底的に練習。大量のスポンジを入れた防具をつけさせた下級生に打席に立ってもらった。あとはスライダー。横の出し入れを練習した。

 元木 そんなことやってたの。

 大越 1番種田(元西武)、2番内藤、3番小野寺(元ロッテ)、4番元木って。練習はそればかり。捕手の佐藤と元木の初球がボールになったら次は何を投げるって考えた。

 元木 (夏の準々決勝で再び対戦)。やっぱりやっかいな投手が来たなと。

 大越 元木はキャプテンだから準々決勝前に抽選を引くんだけど、後ろを振り返ると自分がいるっていう映像を覚えている。

 元木 夏の大越はすごかった。スライダーが大きくなって、直球も速くなっていた。内角もしっかりと投げていたから(自分の狙う)ストライクゾーンが大きくなってしまった(結果は4打数1安打1三振)。

 大越 でも、2打席目のショートゴロは芯を食ってて、すごい打球。3打席目はうまく一塁線を抜かれた。

 元木 振り遅れや。

 大越 元木と対戦すると気持ちが入る。まっすぐで金属製バットでもへし折ってやろうという気持ちで投げた。

 元木 1打席目は木製バットだったら絶対に折れているよね。

 大越 サードゴロだったけど、会心だった。(9―0の八回)内藤に2ランを打たれた。球場全体が盛り上がって、僕はアウェー状態。小野寺にも打たれて、これは元木を抑えないと5、6点取られるんじゃないかと。怖かったから、スライダーを連投した。

 元木 点差があったから絶対に直球で勝負してくると思ったもん。だけど変化球ばかり。試合終了の瞬間は一塁コーチだったから、一塁手の藤原に「大越に『最後ぐらい直球で勝負しろよ』って言っといて」と言ったね。

 大越 元木は打席で大きく見えたよね。

 元木 筋トレはやらされた。でもトレーニングは当時、全国制覇した帝京が進んでいるイメージ。水泳トレーニングとかいいなって。プールに入りてえと思った。やるほうはしんどかったと思うけど。選抜で1回戦で負けたのには驚いた。吉岡(雄二=日本ハムコーチ)は投手よりも打者の方がすごかった。帝京打線が一番いいと思っていた。

 大越 いや上宮の打線の方が上だよ。うちに勝てなかったのも、エースの宮田(元ダイエー)が激戦の大阪大会で投げて疲れていたから。甲子園でも勝てば勝つほどボールの勢いが落ちる。僕は宮城大会でコールド勝ちが多くてイニング数が少なかったから甲子園の最後も4連投できた。

 元木 オレらとしても(選抜の決勝で負けた)東邦が夏は1回戦で負けていたから、気が抜けた部分があったかも。そういえば、聞きたいのは、監督になってすぐに甲子園に出たじゃない。監督として甲子園に戻るのはどうだった?

 大越 宿舎に入ると負けのイメージしかわかないのよ。10点差で負けて地元に帰ったら「何だよ、あいつ」って言われそうな。

 元木 でも大したもんだよね。オレもこの夏、ボーイズリーグとヤングリーグの中学生で戦う世界大会の監督を務めることになったんだけど、学年が上がれば野球のレベルが上がっておもしろいのかなと思う。

 大越 僕はプロになる夢はなくて、甲子園で勝ちたかっただけ。だから進学した。その後、まさかプロになれると思わなかったし、元木とは体もセンスも違うのは分かっていた。プロでヒットを何本打った?

 元木 800本ぐらい(実際は891本)。

 大越 僕は50本だからね。

 元木 高校野球で「スター」と言われたけど、周りが言うことであって、甲子園にオレはスターだからって来るやつはいないよ。ライバル視されて戦っていくうちに良い試合が生まれる。ライバルは作った方がいい。オレには東邦の喜久夫(山田=元中日)がいた。大越は上宮打線をイメージして、夏に変身して帰って来た。結局、オレらは1勝1敗だからね(笑)。

 大越 負けたからダメでもない。対戦して出会った打者に感じたことは大切だと思う。僕の今があるのも上宮というチームに出会ったおかげ。失敗や負けた経験を糧にできるのが野球であり、甲子園。その後、まさかプロになれると思わなかったし、指導者をしているのもあのときがあったから。

 元木 「元木世代」とは言われたくないね。プロで成功したのは前田(智徳、元広島)と小久保(裕紀、元ソフトバンク)、メジャーでやった大塚(晶文)。「(平成)元年世代」でいいんじゃない。

 大越 でも高校時代、元木が僕らの中心にいたことは間違いない。「元木世代」でいいよ。(構成=坂名信行)

     ◇

 1971年度生まれの高校球児 石井貴(藤嶺藤沢、元西武)▽岩本勉(阪南大、元日本ハム)▽大塚晶文(横芝敬愛、元レンジャーズ)▽山田喜久夫(東邦、元中日)▽渡辺秀一(作新学院、元ダイエー)▽野口寿浩(習志野、ヤクルトコーチ)▽吉岡雄二(帝京、日本ハムコーチ)▽小久保裕紀(星林、元ソフトバンク)▽鳥越裕介(臼杵、ロッテコーチ)▽種田仁(上宮、元西武)▽仁志敏久(常総学院、元横浜)▽井上一樹(鹿児島商、元中日)▽新庄剛志(西日本短大付、元日本ハム)▽宮地克彦(尽誠学園、元ソフトバンク)▽前田智徳(熊本工、元広島)▽香田誉士史(佐賀商、西部ガス監督)

     ◇

 もとき・だいすけ 上宮で春2回、夏1回甲子園に出場し、3年春は準優勝。甲子園通算6本塁打は歴代2位。巨人入りし、つなぎ役として活躍。2005年引退。通算891安打、66本塁打。

     ◇

 おおこし・もとい 仙台育英のエースとして3年春に甲子園8強、夏は準優勝。早大中退後、米1Aを経てダイエー入り。守備固めや代走などで活躍、2003年引退。09年から早鞆高監督。