メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

たどり着けなかった甲子園 元プロが振り返る、悔しい夏

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • メール

2018年5月24日15時20分

 夏の甲子園への切符は、九州・沖縄各県に1枚ずつしかない(今年は100回記念で福岡が2枚)。後にプロで活躍する選手も、多くがたどり着けずに散っていく。地方大会で終わった夏を元プロ野球選手のふたりに振り返ってもらった。

 ■元多良木(熊本)投手・野田浩司さん(50)

 草野球の監督をしていた父の影響で、野球をやろうと思った小学2年の頃から、甲子園の組み合わせ表が出ると新聞を切り取ってノートに貼り、大会が始まれば1試合も見逃したくなくて、家族と海水浴に行くのも嫌がりました。

 地元の多良木高校は一度も甲子園に行ったことがなかったけど、とにかく甲子園に行きたいと思っていました。当時は、野球が強い高校に越境入学するなんて考えは頭になかった。

 2年生の秋も3年生の春の県大会も初戦敗退でした。「甲子園が見えた」と思ったのは、3年の夏。準々決勝で熊本工に勝ったときです。当時の熊工は、後に阪神に入団した遠山昭治を擁して優勝候補だった八代一(現秀岳館)と双璧と言われる存在。練習試合では、公式戦(の試合規定)ならコールドになるくらいの負け方をしていました。

 でも、その夏は、点を取って取られて、また取って。11―9とリードした八、九回は「勝てる、勝てる」と感極まって泣きながら投げました。試合中に泣いたのは最初で最後です。

 熊工に勝ったのは、人生を振り返ると大きな自信にはなっているかな。やればできるんだと。

 しかし、準決勝の九州学院戦で0―1で負けました。二回に二塁走者がいる場面でセンター前に打たれ、ホームでクロスプレーになったけど1点取られた。九回表に1死二塁のチャンスで打順が回ってきたけど、高めの釣り球に引っかかって三振。「終わった」と思いました。

 熊工に勝ったことに満足してしまい、チーム全体の闘争心が相手に負けていたのかもしれない。監督は熊工戦の後、宿舎でみんなに「ありがとう」と言ったことを悔いていたそうです。次に向けての声かけをすればよかった、と。プロになってからそう聞きました。

 負けた後、「野球はしたくない」と初めて口にしました。野球をやめたいと思ったのは、このときだけです。九学戦の録画は当時は何度も見ました。三振のシーンも、1点取られたシーンも。悔しい気持ちもあったけど、ゲッツーしたやつをちゃかしたり、面白おかしく話したり。

 その後、あこがれの甲子園のマウンドに初めて立ったのは、プロ2試合目の巨人戦でした。1死満塁で出て、1球もストライクが入らず押し出し。手も足も震えて、グラウンドが地響きするようで、自分じゃないみたいでした。高校生が「試合がいつのまにか終わる」と言うのが、分かる気がします。(杉山歩)

     ◇

 熊本県多良木町出身。多良木から九州産交を経て、投手としてプロへ。阪神、オリックスでプレー。95年に1試合19奪三振のプロ野球記録を樹立。00年に引退し、神戸市で飲食店経営。

 ■元瓊浦(長崎)投手・下柳剛さん(49)

 学校のグラウンドが山の上にあったので、毎日往復10キロくらいは普通に走っていました。坂道ダッシュも何十本もやらされた。

 厳しい部でした。初めは1年生が100人くらいいたけど、1カ月もしないうちに半分以下に。自分も一度はやめるって言いに行った。やめていたら、何になっていたんでしょう。

 2年秋の県大会で準優勝しましたが、あの頃は優勝チームしか九州大会に行けなかった。3年夏は準々決勝敗退。うちの前に前年秋の県大会優勝の海星が敗れて、「甲子園近づいたな」と思っていたら、次の試合で負けた。練習試合では何度も勝っていた相手だったので、油断やおごりがあったのでしょう。準決勝、決勝のことばかり考えていたんじゃないですかね。試合前から勝った気でいた。

 終わったときは、悔しさ半分、ほっとしたの半分。「もう、あんなしんどい練習しなくて済むわー」って思ったのは覚えています。当時は高校野球でやめようと思っていた。直後は「野球したくないな」という気持ちにもなったけど、1、2カ月たったら「やっぱりやりてえな」って。

 甲子園で初めて投げたのは、社会人を経て入団した福岡ダイエーホークス(当時)時代。2軍のウエスタン・リーグでした。「ここをめざしていたんだ」って、感慨深かったですね。その試合は3―0で勝っていたのに、3ランを打たれて交代。最初の甲子園だったので、やっぱり印象に残っています。

 自分にとっては投げやすい球場でした。芝生のきれいさにはびっくりした。ほかのどの球場よりも投げやすくて、好きでしたね。勝率はかなりいいはずです。

 甲子園っていうのは、どの選手にとっても特別な場所だと思う。プロの選手も、高校時代はみんなそこをめざしてやってきた。

 高校野球の思い出は、試合よりも仲間といた時のこと。覚えているのは、部活の帰りにしたことや、説教されたり、怒られたりしたことばかり。長崎に帰ってきて会うのは、やっぱりその時の仲間。同じ方向を向いて、同じ目標をめざして頑張った。素晴らしい仲間ができて、一生付き合える友だちになる。

 高校生の時に、あの舞台に立ちたかったという思いは、そりゃあ少しあります。「仲間と甲子園に行っていたら、どんな試合ができたのかな」とか、考えたりしますね。

 高校野球は、今でも見ます。「もうあんなことはできないな」って思いながら。あのまっすぐさがいいですよね。(森本類)

     ◇

 長崎市出身。瓊浦(けいほ)(同市)から社会人野球を経て、投手として福岡ダイエーホークス(当時)へ。阪神では史上最年長で最多勝を記録。現在は野球解説者。