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「そこそこやるか、そこまでやるか」県岐商・鍛治舎監督

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2018年7月13日11時47分

 ■県岐阜商監督・鍛治舎巧さん

 「人の生き方は2種類しかない。そこそこやった人にもそれなりの結果は訪れるが、一度きりの人生だから、そこまでやりたい」

 県岐阜商時代、投手として春の甲子園で8強に進んだ。早大に進学してからは、全日本の4番打者として活躍した。

 「センスがあるわけではなかったが、自分よりセンスのある選手たちが、言い訳をしながら辞めていった」

 中高時代も、大学でも、松下電器に進んだ社会人野球でもそうだった。「指導者が合わない」「自分の考えと違う」「チームの雰囲気が合わない」。周りの選手たちはいろいろ言い訳をしながら、挫折したり、方向転換したりしていった。その中で自分は言い訳せず、野球だけを「とことんやってきた」という自負がある。

 選手の一線を退いた後は、仕事に打ち込んだ。パナソニックでグローバルブランド戦略を担当していたころ、海外も含めると1千人以上の部下をまとめていた。「英語はそこそこしかやらなかった」と笑うが、ずっと向き合ってきた野球だけは違った。

 球児たちに厳しくも優しいまなざしを向け続けた高校野球の解説もそうだった。仕事の合間に指導していた中学硬式野球チーム「オール枚方ボーイズ」(大阪府)や、昨夏まで甲子園に春夏4季連続で導き、短期間で全国に知れ渡る強豪校に育て上げた秀岳館(熊本県)時代の教え子たちは今、大学野球やプロ野球で活躍している。

 「野球は凝る方なので、そこまでやってきた」

 今春、監督として久しぶりに母校・県岐阜商に帰って来た。県内の高校野球を常に引っ張ってきた名門の復活を託され、母校の球児を導く立場になった今は「選手たちにもそういう道を歩んでほしい」と願っている。(松沢拓樹)