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桑田もダルも攻略した木内さん「今の茨城の選手はスマートすぎる」

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2018年4月15日16時23分

 北関東の高校野球の監督で唯一、2度の全国制覇を果たしているのが茨城の木内幸男さん(86)だ。1984年夏の取手二と2003年夏の常総学院。公立と私立の両方で実現しているのも偉業だ。

 1984年の決勝は元巨人のPL学園・桑田真澄投手を、2003年の決勝は大リーグで活躍する東北・ダルビッシュ有投手を打ち崩して、栄冠を勝ちとった。超高校級の投手を攻略するのが得意だった。

 「まずは打てないという前提に立って、でも、どんなにいい投手でも失投は必ずある。それを逃さない。彼らが本気になったら打てないが、かわしにきたり、カウントをとりにきたりする球をねらわせた。だれだって9回全部、全力は無理だから」

 選手の性格を知り尽くしてここぞという場面で起用する。選手と打ち解ける武器は茨城弁だ。「選手たちの性格は練習中に何でも言わせて把握する。彼らがよくしゃべれるように、俺はわざと茨城弁を話して同等の関係にする。上から眺めていたんじゃ生徒のことはわからない」

 1931年生まれ、土浦一高出身。卒業後、そのまま母校のコーチ、監督となり、57年から取手二高の監督に。甲子園出場までには20年かかった。自らの戦いぶりを「弱者の兵法」という。「木内マジック」はその裏返しでもある。

 「負けて元々と思うと、大胆にやろうとか、新しい作戦をやってみようということになる。負けて元々だと野球が大きくなる」

 そして、反骨の野球でもある。「昔は茨城はなめられていた。組み合わせ抽選会で、相手が茨城に決まると歓声がわいてしまうのだから。まずは甲子園では恥ずかしくない野球をしようと思った。恥ずかしくない野球を目指せば、逆転がありうるから」

 理想の監督は徳島・池田の蔦(つた)文也監督だった。「ベンチに座って、右打者の時はレフトスタンドを指さし、左打者の時はライトスタンドを指さすだけ。ああいう監督になりたかったね。俺なんかオリの中の熊だよ。ベンチの中をあっちに行ったり、こっちに行ったり」。選手に聞かすようにベンチでずっと独り言を言っているのも木内流だ。

 現在は監督を退き、取手市の自宅で悠々自適の生活を送る。テレビでの野球観戦が楽しみだ。今の茨城の選手はスマートすぎると感じている。「投手力や打力のスケールを大きくしないと甲子園ではなかなか勝てない。そういう意味で『弱者の野球』では勝てなくなっているのかも」。

 監督は選手に勝つ気持ち、勝ちたくなる気持ちを植え付けなくてはならないという。監督同士の切磋琢磨(せっさたくま)が少ないのも不満だ。かつての茨城球界は県南だけでも木内さんのほか、粟野武さん(土浦三)、田中国重さん(取手一)、菅原進さん(竜ケ崎一)ら戦前生まれの監督がしのぎを削った。

 「今は同じ出身大学同士で固まっている気がする。おれたちは年中集まって、話し合ったり、試してみたり……、いかに自分の学校と茨城の野球を強くするかいつも考えていたよ」

(小松重則、斉藤勝寿)