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岡山)「最速」エース、追い詰めた

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2018年3月13日03時00分

 甲子園最速――。当時そう呼ばれたエース寺原隼人(現ソフトバンク)擁する日南学園と対戦した玉野光南。徹底した「寺原対策」で臨み、試合終盤、剛腕攻略に成功したかにみえた。

 その男の登場に、球場は震え上がるような歓声で応えた。1―1の同点で迎えた五回裏、日南学園は先発投手に変わって、エースの寺原がマウンドに上がった。

 「やっときた」。玉野光南の主将西岡裕助はそう思った。「寺原が先発しないと知った時は正直、『なめられてる』と思った。チーム全体に、『寺原を引きずり出そう』という熱気があった」と振り返る。

 五回の玉野光南の先頭打者は1番福田航平。萱(かや)勝監督から「チームを勢いづけるため、初球は必ず振れ」と指示を受けていた。だが、振ると決めていても、寺原の直球に全く反応できなかった。

 「人があんなに速い球を投げるのを見たことがなかった」。一ゴロに倒れてベンチに戻り、仲間に「楽勝、楽勝!」と伝えたが、「内心、次に打てるとは考えなかった」。

 寺原が1球投げる度に、ブラスバンドの演奏をかき消すほどの拍手と歓声がわき上がった。

 五回裏、カウント2―2で迎えた5球目は154キロを記録。松坂大輔や寺原自身が持っていた、甲子園最速記録(151キロ)を塗り替えた。

 1点を追う六回裏、2死一、二塁の好機。打席に再び福田が立った。「高校野球3年間のすべてをかけよう」。外角低めの151キロの直球を右翼方向にはじき返すと、同点の適時打になった。この回、福田の適時打を含む4安打で一挙3点を挙げて逆転。最初は打たれて笑みを浮かべていた寺原の表情が険しくなった。

     ◇

 試合の数日前、萱監督は、ピッチングマシンの速度を調節するダイヤルを限界まで回した。その上で、マシンを置く場所を通常の練習より1メートル程度打者に近づけた。

 試合直前には、選手の多くが、マシンの球を打ち返すようになった。捕手の国米玲仁は「はじめはバットの芯にあたっても打ち負け、手が痛かった。最終的にマシンのおかげで、寺原の球は遅く感じた」と「寺原対策」の成果を振り返る。

 萱監督や選手の読みも光った。

 萱監督は試合の映像を見て寺原の配球パターンを研究。「カウントによって140キロ台前半の直球を投げる」「変化球がストライクになると次も変化球」。そんな球種の読み方を選手たちに指南していた。

 国米は五回に初めて寺原と対峙(たいじ)した打席で、直球と変化球では投球フォームが微妙に異なることに気づいた。ボールが手から離れる際、変化球の場合は一瞬体が止まるように見えたのだ。「あの試合の打席が人生で一番集中していた。五回の時点で必ず打てると思った」

 その言葉通り、国米は五回以降2安打1四球。寺原を相手にした3打席すべてで出塁した。

     ◇

 九回裏に3四球した寺原は、肩で息をし、何度も空を仰いだ。玉野光南は2死満塁。サヨナラ勝ちの好機を迎えた。打席には、八回に二塁打を放っていた6番吉川紘提。岡山大会で打率が5割を超え、「チームで一番信頼の置ける打者」(萱監督)だった。ベンチの選手たちは勝利を信じ、駆け出す準備をしていた。

 フルカウントとなり、6球目の外角低めの直球。「見逃す選択肢はなかった」という吉川は迷い無く振り抜いた。三遊間への強烈なゴロは、惜しくもその場に構えていた三塁手のグラブに収まった。

 玉野光南は延長十回に2点を失い、勝ち越しを許した。「あの時は後悔はなかった。でも今振り返ると、やっぱり打ちたかったなあ」と吉川。熱戦を終えた寺原は「とにかく疲れた」と漏らしたという。

     ◇

 延長十回に最後の打者となった二塁手の近藤俊介は現在、笠岡工野球部のコーチを務める。あの試合の九回、「人生で一番声を出した」という近藤は「あの試合以上の興奮はないし、それを求めて今の仕事をしているというのもある。いまだに、寺原君を追っています」と語る。

 1番打者だった福田は、東京で出版の仕事に携わる。昨年まで社会人野球チームに所属していた福田は、あの試合をこう振り返る。「悔しい思いももちろんある。でも、野球をやっている幸せを一番感じることができた。大観衆の中で日頃の練習の成果が出せて、体で幸せを感じた」

 30歳を過ぎた今も150キロを超える球を投げ続けている寺原。福田はこうエールを送る。

 「僕らを倒したチームのエースとして、最後の最後まで野球で頑張ってほしい。応援します」=敬称略(山口啓太)