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大阪)高校3年間は自分を作った土台 宮本慎也さん

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2018年1月11日03時00分

【動画】高校球児にメッセージを贈る宮本慎也さん=恵原弘太郎撮影

 甲子園の一番の思い出は開会式です。2年生のとき、入場行進の門をくぐって「夢がかなった」と思いました。大きな歓声が聞こえて、本当に来たんだなって。いまでも鮮明に覚えています。

 でも、そこまでが大変でした。PL学園の寮生活です。ごはんは食べているのに、皆やせていくんです。少し太り気味の部員は10キロくらい平気でやせる。気を使っていたからだと思います。1年生は食事や洗濯など日常生活に必要なことを先輩の分もしないといけなかったので。後輩ができたときはとてもうれしかったです。

 練習も緊張感がありました。上級生はエラーをしません。流れを止めるのはだいたい1年生で、雰囲気が悪くなる。だから練習よりも試合のほうが楽でしたね。でも練習の緊張感が試合にいきてきます。精神的に追い詰められても跳ね返す。逆転ができる。それが先輩方が作ってきたPLの伝統だと思っています。

 2年生のとき春夏連覇を経験しました。先輩の一人がけがをして準決勝の途中から出場しました。大阪大会では試合に一度も出ていなかったので、選ばれると思っていませんでした。

 準決勝で打席が一度だけ回ってきました。5点差で勝っていて、バントのサイン。正直ちょっとだけ「ファウルにならないかな……」と思っていました。この打席しかないと思っていましたから。追い込まれてサインがバスターになり、レフト前ヒット。もう思い残すことはないと思いました。

 でも決勝の朝、メンバー発表で「8番、サード宮本」と呼ばれました。3年生が勝ちを積み上げてきたのに「自分のミスで負けたらどうしよう」と緊張しっぱなしで。甲子園での試合前の練習で悪送球してコーチの足に当ててしまいました。「あいつ大丈夫かー?」と言われ、逆に緊張がほぐれました。

 連覇が決まった瞬間は、「喜び」が2割。「ほっとした」が7割。残りの1割は「来年やばいな」でした。3年生がインタビューを受けているとき、「甲子園の土を取ってきて」と頼まれて。3年生は1回も負けずに土を持って帰るんだ、皆で優勝旗を返しに来られるのかと不安に思いながら土を集めていました。

 3年生の夏は、大阪大会の5回戦で布施に負けてしまいました。公立校に負けるというのは悔しかった。積み上げてきた伝統を傷つけた、と思いました。

 出場できなかった夏の甲子園は皆で見に来ました。ライトスタンドだったと思います。優勝旗の返還を主将に1人で行かせてしまい、なんとも言えない悲しい気持ちになりましたね。

 1年生で命がけの寮生活、2年生で全国制覇し、3年生で負ける惨めさを経験しました。3年間を通して、自分で課題を考えて練習する大切さや、勝負に対する執念を学びました。野球だけではなく、我慢することや人に気を配ることなど生きていく上で大事なことをたくさん学びました。高校3年間は、宮本慎也を作った土台です。(聞き手・光墨祥吾)

 みやもと・しんや 1970年、吹田市出身。PL学園で、2年だった87年夏の甲子園で春夏連覇に貢献。3年は第70回の大阪大会5回戦で敗退。同志社大、プリンスホテルを経て、94年秋のドラフトで2位指名され、ヤクルトに入団。好守の内野手として活躍し、ゴールデングラブ賞を遊撃手で6回、三塁手で4回受賞。2013年に現役引退。来季からヤクルトのヘッドコーチ。