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岡山の100回大会史 「2強時代」から勢力図がらり

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2018年1月11日17時25分

 全国制覇経験がない19県のひとつ。そこに最も迫ったのは、81回大会(1999年)の岡山理大付だ。前々年王者の智弁和歌山に九回2死で逆転サヨナラ勝ちした準決勝は、岡山勢屈指の名勝負だろう。決勝は桐生第一(群馬)に敗れた。

 監督就任6年目だった早川宜広は当時、32歳。「決勝まで進み、予想以上に岡山は盛り上がった。その後、他の私学もどんどん力を入れはじめ、いまの群雄割拠という状態につながったのではないでしょうか」

 80年ころまでは岡山東商と倉敷工による「2強時代」だった。約30年で勢力図はがらりと変わった。

 70回大会(88年)以降の30大会の代表は、倉敷商8回▼関西(かんぜい)6回▼岡山理大付4回▼玉野光南3回▼倉敷工、岡山城東2回▼岡山東商、岡山南、岡山学芸館、創志学園、おかやま山陽が1回。11校中5校が初出場を果たし、6校は県立だ。公立校も新勢力も入り乱れての混戦状態と言える。

 倉敷商は、73年に監督に就いた長谷川登が礎を築き、岡山南とともに「2強時代」に割って入った。05年にOBの森光淳郎が引き継ぐと、岡大海(ひろみ)=日本ハム=らを擁して90(08年)~92回大会(10年)で岡山大会3連覇。94回大会(12年)は8強まで進んだ。関西は私学の雄。ともにOBの角田篤敏が90年から、江浦滋泰が02年から監督を務め、県内屈指の強豪に育てた。93回大会(11年)では県勢7度目となる4強入り。OBには上田剛史=ヤクルト=らがいる。

 岡山理大付は広島・盈進(えいしん)、駒大をへて、93年に就任した早川が一時代を築く。全国準優勝の後も3度、代表に。育成力にも定評があり、広島の投手、薮田和樹と九里亜蓮、DeNAの内野手、柴田竜拓(たつひろ)らがここの出身だ。

 3校を追うように力をつけたのが、県立校の玉野光南と岡山城東だ。87年創立の岡山城東を強くしたのは日体大出身の山崎慶一。創部わずか4年目の72回大会(90年)で初出場を果たした。山崎は岡山学芸館の監督としても97回大会(15年)で初出場に導いた。84年創立の玉野光南は83回大会(01年)が初出場。

 ここ数年は、さらに新勢力が台頭した。岡山学芸館から98回大会(16年)の創志学園、99回大会(17年)のおかやま山陽と、3年続けて初出場校が生まれた。10年創部の創志学園は高田萌生=巨人=らを擁し、16年春から3季連続で甲子園に出場。おかやま山陽の監督、堤尚彦は青年海外協力隊員としてアフリカでの指導経験がある。

 近年は甲子園での苦戦が目立つ。17年まで5年連続で初戦敗退しており、県高野連理事長の宮武一士は「本命不在のため、有力な中学生が分散する傾向がある。力が拮抗(きっこう)する県内の争いを勝ち抜くために使うエネルギーが大きく、甲子園で結果が出ていない」。

 有力校がひしめき、県内での争いには活気がある。それをどう全国の戦いに生かしていけるか。100回大会以降の大きな宿題だ。(竹田竜世)