(2007年決勝 広陵4―5佐賀北)

 史上初となる決勝での逆転満塁本塁打。忘れられない試合を動かしたのは、甲子園を埋め尽くした5万人の観衆だった。

 広陵のエース、野村祐輔は感慨深げに振り返る。「誰か作家さんがいるんじゃないか、という印象深い試合だった。それが決勝というのがね」

 2007年8月22日、佐賀北との決勝。チームは二回に2点を先取。七回にはエンドランが決まり、相手エース久保貴大から2点を奪った。野村は小気味の良い投球で七回まで、被安打わずか1。「こっちのリズムで試合が進んでいた。このままいけるのかな」

 暗転したのは、4点リードの八回。1死から連打を浴びると、佐賀北ベンチの三塁側を中心に雰囲気が一変した。ボール球一つで、拍手と声援は渦を巻くように増していった。

 この年、プロ野球の裏金問題に端を発し、特待生問題が表面化していた。巻き起こった歓声は判官びいきもあって、公立校の佐賀北には追い風となり、私立の広陵には強烈な向かい風となった。

 四球を与え満塁のピンチ。伝令役の大礒賢也がベンチを出た。マウンドに駆けよって、驚く。「球場が揺れていた。そんな馬鹿な」。笑わせてその場をリラックスさせる「お笑い担当」が平常心を失い、中井哲之監督からの伝言を忘れた。「落ち着いていけよ」と当たり前な言葉しか伝えることができなかった。

 野村はなおも制球を乱す。3ボール1ストライクから投じた球は際どく外れ、押し出しに。野村は顔をゆがめ、捕手の小林誠司はミットを地面にたたきつけ悔しさをあらわにした。

 三塁手で主将の土生翔平は野村の顔を見て、二歩、三歩とマウンドに近寄った。大声で、「大丈夫、落ち着いていこう」と叫んだ。だが、大声援でかき消されるのか、野村は振り向かない。「みんなで守っているけど、それぞれぽつんと1人でいる雰囲気」を土生は感じた。

 迎えた打席には佐賀北の3番・副島浩史。前の2打席はスライダーで連続三振に切っていた。内角高めで上体をおこした。そして、この打席も決め球を低めに落とす、はずだった。カウント1―1、この日の127球目。投じたスライダーが浮く。フルスイングされたバットに吸い込まれていった。

 「当たったら、一番飛ぶところにいってしまった。時が止まりましたね」と中井監督は今でもその光景を忘れない。

 打球の行方を見届けた野村は、笑っているようにも泣いているようにも見えた。「今までにない感情だったんじゃないかな」。3点差をひっくり返される満塁被弾。最後の打者として空振り三振するまで、記憶はぷっつりと途切れた。「甲子園の魔物なんですかね。結果だけ見れば、のみ込まれた感じですけど」

 後日談がある。広島に戻った広陵は選手だけのミーティングを開いた。「準優勝で良かったという人生を送れるように、これから頑張っていこう」。土生を中心に誓い合った。

 あのとき屈辱を味わった9人のうち、4人が大学や社会人を経由して、プロに進んだ。野村は「日本一になれなかった悔しさがあったから、大学で頑張れた」。野村、土生、そして遊撃手の上本崇司は広島に、小林は巨人に入団。野村は2016年に最多勝を獲得し、小林は17年のワールド・ベースボール・クラシックで日本代表の正捕手をつかんだ。

 主将の土生は言う。「みんな負けを生かした。今はプラスでしかない」。中井監督は「みんなプロに行くような素材じゃなかった。結果からしたら、もったいなかったけど、色んなものを与えてもらった」と目を潤ませた。(吉田純哉)

 〈野村祐輔 のむら・ゆうすけ〉 岡山県倉敷市出身。明大を経てプロ野球広島に入団。2012年に新人王、16年に最多勝と勝率1位のタイトルを獲得。

 〈中井哲之 なかい・てつゆき〉 1962年、広島県生まれ。大商大卒。90年に母校広陵高の監督に就任。選手時代は80年に春、夏連続で甲子園に出場。