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マネジャーの娘と甲子園「一生の思い出」 読者投稿から

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2017年5月23日09時23分

 (アルプス応援)

 藤田安憲(北海道 70歳)

 来年で100回になる全国選手権大会。私にとって忘れられないのは、1988年の第70回記念大会だ。

 その大会は1本の電話から始まった。

 「学校の応援団とは別に、野球部員の父母の応援団をつくって甲子園に行くのですが、藤田さんもいかがですか」

 「うちの娘はマネジャーで、選手ではないんですが……」

 「マネジャーも部員ですから」

 そんな風に誘われ、同行を申し入れた。

 長女が入学したその年、まさに奇跡としか言いようのない幸運をもって札幌市立開成高校野球部が、南北海道代表として甲子園初出場を果たした。娘本人の言を借りると、入学後にたまたま声をかけてきた野球部員が中学校の先輩だったということで、深く考えることもなく応じてなった「1年生マネジャー」だった。

 8月14日の日曜日、大会6日目の第2試合、快晴の空のもと、先攻で試合が始まった。

 相手は大会屈指と前評判の高い川崎憲次郎投手(のちにヤクルト)を擁する大分代表の津久見。おおかたの人は内心、「ノーヒットノーランだけは……」という思いが強かったのではないだろうか。

 ところが、プレーボールのサイレンが鳴り終わらないうちに先頭打者がヒットで出塁、その後相手のミスもあり1点を先取した。「これは?」との淡い期待が湧いてきた。

 三塁側アルプス中段で汗を滴らせながらの応援。最前列で4人の女子マネジャーの1人として声をからしている娘の姿を想像する。私以上に熱い思いでの応援だろう。

 甲子園出場が決まった後、また現地に行ってから、毎日のユニホームの洗濯など4人のマネジャーたちの奮闘ぶりは地元テレビで何回か放映された。それまで家ではほとんどすることもなかった、ましてや他人の衣類の洗濯に汗を流す娘の姿に目をみはる思いがし、その成長に驚き、我が娘ながら誇らしく思った。

 試合は1―4で逆転負けした。悔し涙を流す選手もいた。娘も泣いていたかもしれない。しかし、おおかたの選手、応援の仲間たちの顔には、この暑さの中で力を尽くした、一丸となって声援を送った満足感があふれていた。

 私の古い日記のこの日の最後の一行には、こう記してあった。「ともあれ、娘にとって、また、俺にとっても、一生の思い出となる甲子園出場であった」

 あれから30年、その娘も今では、縁あって結ばれた伴侶とともに、岐阜の山奥で5人の子の母となって、おいしいシイタケづくりに汗を流している。