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苦しんだ1千号本塁打の「勲章」 変化した一打への思い

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2017年1月24日09時07分

 快音を残し、大空に描かれる放物線。幾多の打者が積み重ねた本塁打が通算1000号に達したのは2002年の第84回大会。当時1、2年生だけで甲子園に初出場した石川・遊学館の4番・一塁手だった行田篤史さん(31)が節目のアーチをかけた。

 第6日の第1試合。群馬・桐生市商戦の七回1死、カウント2―1から直球を引っ張る。「ボールの感触がないくらい振り抜けた。人生で一番いい当たり」。のちに明大、三菱自動車岡崎でもプレーした行田さんの、高校での公式戦初アーチ。完璧な感触に、左越えへの打球を見届ける前に自然と拳を突き上げていた。

 大台まで残り11本塁打で大会は始まった。第5日の最終戦で4本が飛び交って999本。山本雅弘監督(65)は選手に発破をかけた。「(次に)打てば新聞の大きな記事になる。自分をアピールできる選手が大きくなるよ」

 三塁へ走る途中で快挙に気付いた行田さんだが、現役時代はこの“勲章”に苦しんだ。翌春の石川県大会で1大会4本塁打を放っても「1000号男」。「自分は次に進んでも、時が止まっているようだった」

 現在は金沢市内で飲食店経営に携わりながら、北陸朝日放送で夏の石川大会の解説者を務める。あの一打に対する思いは変わってきた。「たまたま区切りのところで打たせてもらった。これからも名前は残るので、それに負けないように頑張っていきたい」

 第1回大会の開幕試合で外野後方の草むらに入った打球を外野手が探す間に打者走者が生還して誕生した本塁打は、昨夏の第98回大会で通算1529本に達した。その中で、大会史上1本しかない本塁打がある。第59回大会の3回戦で大阪・大鉄(現・阪南大高)の川端正さん(57)が大分・津久見戦で放った「サヨナラ満塁」本塁打だ。

 延長十一回1死満塁。そこまで4安打の川端さんが打席に入る。「それまで直球を打っていた。あの打席はカーブが続いたので、勝負球もカーブで来ると思った」

 カウント2―2から読み通りの球を引っ張る。打球は右翼へ。無我夢中で、その時の記憶はほとんどない。「景色も真っ白になった。ただ、1人ではできなかったこと。仲間が満塁にして回してくれた。ええ仲間に出会えたおかげです」と振り返る。

 大会本塁打は豊中グラウンドで5本、鳴尾球場で15本のほか、西宮球場でも13本が記録されている。今夏は、あと4本に迫る甲子園球場での通算1500号が飛び出すだろう。(上山浩也)