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祖母の葬儀で大会欠場、一生分泣いた 読者投稿から

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2016年7月15日15時25分

 (夏の地方大会)

 小林仁(岩手県 50)

 1983年7月20日、私は横手高3年生の野球部員で、秋田の八橋球場で全国選手権秋田大会の開会式を終え、帰宅したときのことである。

 なぜか、自宅前に葬儀用の花輪が飾られていた。最初は家を間違えたと思ったが、我が家であった。不安を感じつつ自宅に入ると、今朝、私を見送ってくれた祖母が、その直後に心筋梗塞(こうそく)で亡くなっていた。突然のことにただ、驚いた。

 このとき、不謹慎ではあるが、祖母の死を考えるよりも、翌々日の2回戦のことが気がかりであった。

 当時の記憶をたどっても、両親から明確に何を言われたか記憶がないが、葬儀を仕切るお坊さんから「試合の参加はあきらめるしかない」との旨を告げられた。当時の私にとってあまりにもつらい宣告だった。反対の意思もあったが、それは難しい状況であり、受け入れるしかなかった。監督に欠場することを電話した。

 翌々日、葬儀が終わった後、テレビでチームの試合が中継されていた。放心状態で見ていたが、徐々に涙があふれてきた。大勢の人がいたが、そんなことには目もくれず、一生分くらい泣いた。誰も私の背中を押してくれなかったことに恨みすら覚えた。

 十分な気持ちの整理ができずに33年、年を重ねて気持ちに変化が生じた。

 当時の私を省みさせ、かつ、私を成長させるためにあったことではなかったかと。高校に入学はしたものの、勉強にもいま一つ力が入らず、中途半端に過ごしていた。しかも部活は中途入部。ほめられる過ごし方は全くと言っていいほどしていない。ただ、一つうそがないことは、純粋に野球が好きだったということ。今なお、その気持ちを携え、生きている。

 部活動は人間教育の場所であることは大人になって初めて意識した。好きな野球を通じて、結果的に大きな人間教育を受け、成長の糧になったと強く感じる。

 私の高校野球のラストシーンは、ふさわしいものだったか答えは見つからないが、中学、高校と野球をさせてくれた環境に対し、感謝の念は忘れてはならないと思う。

 また、7月20日が近づいてきたと思う、今日このごろである。