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肩で存在感「打撃鍛え戻る」 光星学院・天久翔斗外野手

2011年3月30日10時52分

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写真:声援を送るマネジャーのメガホンに、震災を免れたお守りが揺れた拡大声援を送るマネジャーのメガホンに、震災を免れたお守りが揺れた

写真:光星学院―智弁和歌山 2回表光星学院、先頭打者の天久は左前にチーム初安打を放つ=日刊スポーツ
拡大光星学院―智弁和歌山 2回表光星学院、先頭打者の天久は左前にチーム初安打を放つ=日刊スポーツ

写真:スタンドで応援団を監督しつつ、何度もグラウンドを振り返り選手のプレーを見つめていた小浜コーチ=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場拡大スタンドで応援団を監督しつつ、何度もグラウンドを振り返り選手のプレーを見つめていた小浜コーチ=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場

 (29日、智弁和歌山3―2光星学院) 絶好の場面で打順が回ってきた。同点の8回1死二、三塁。自信はあった。2回の初打席では直球を左前にはじき返していた。

 今度も狙うは直球だ。3球目。まっすぐが外寄りに「来た!」。

 だが、捕らえきれず、打球は力なく三塁側ファウルグラウンドに上がり、二死。後続も倒れ、勝ち越せなかった。

 沖縄県石垣島出身。2000キロ以上も離れた光星学院を選んだのは、「甲子園に行く確率が高い」と思ったから。小さいころから、地元のボーイズリーグで監督を務める父・朝俊(ちょうしゅん)さん(50)にも「県外に出ろ」と諭されてきた。

 全国各地の強豪校の練習を見に回っていた中学3年の夏休み、埼玉県の高校で練習試合をしていた光星の当時の監督に口説かれた。「すごいメンツが集まる。全国制覇できる」。同学年の有名選手の入学がすでに決定していた。

 「オレ、決めたわ。八戸に連れてってくれ」。朝俊さんと一緒に練習を見学したうえで、温暖な石垣島から極寒の八戸へ入学を決意した。

 最初は練習が厳しく、「帰りたくて仕方なかった」。しかし、徐々に力がつくと寮生活も楽しくなってきた。選抜出場を決め、今年3月に石垣島へ遠征した際、仲井宗基監督が「家に顔を出したら」と勧めたが、断った。朝俊さんは4人きょうだいの末っ子を「よく頑張っている」とほめる。

 初めての甲子園は2回戦で敗退し、試合後は「くやしいっす」と、ひたすら最後の打席を悔やんだ。でも、4回の守りでは本塁で走者を刺し、存在感を見せた。「もっと打撃を鍛えて、夏に帰ってきたい」と、夢の全国制覇を5カ月後に見据えた。(北沢拓也)

 ■打てなくても野球でき感謝 八戸出身・川崎選手

 9回1死で代打に立った川崎貴之選手は八戸市出身。今月6日に沖縄遠征に飛んで以来、ふるさとに帰っておらず震災後の状況をこの目で見ていない。地元の人たちの夢を先へとつなぐ安打を放てず、チームは一両日中に帰郷するが、ここまで野球ができたことへの感謝の気持ちを込めて、「ボランティアでも何でもやってみたい」。

 父純孝さん(44)は試合の時、仕事の合間を縫って岩手県の被災地にいる友人へ食料を運ぶ車の中にいた。息子の打席の場面はラジオに耳を傾けた。

 川崎選手は緊張で頭が真っ白になり、手を出さないと決めていた低めの球を打って三邪飛に倒れた。純孝さんは「プレーが目に浮かぶよう。思い切り振ったはず。夏は一回り大きくなった姿を甲子園で見たい」とエールを送った。

 ■震災を逃れたお守りが鼓舞

 初戦に続き、光星学院の体育館に詰めかけた全校生徒約600人の「大応援団」。最前列の女子マネジャーが握るメガホンには、奇跡的に震災を逃れたボール型のお守り一つがくくりつけてあった。

 お守りは、マネジャーの斗沢優希さん(17)と左京翼さん(17)が昨年12月から、選抜出場を念頭に作り始め、選手全員分を震災1日前に完成させた。ところが、地震で左京さんの部屋にあったそのほとんどが家具の下敷きになるなどして台無しに。唯一、背番号1と秋田教良投手の名前を縫い込んだお守りだけが無事だった。

 運を持っているこのお守りが「みんなを勝たせてくれるはず」と、初戦に引き続いて応援会場の体育館に持ち込んだ。いったん逆転した際は黄色いメガホンとともに大きく揺れ、画面に映る選手を鼓舞し続けたが、あと1点及ばなかった。

 ■11年前の「夏」雪辱託し応援 当時の主将・小浜さん

 この日対戦した智弁和歌山は、光星が4強入りした2000年夏の甲子園で、準決勝で敗れた相手。当時の主将で同校コーチの小浜巧聖さん(28)もアルプススタンドから後輩の戦いぶりを見つめた。雪辱はならなかったが、「今の選手たちは私たちを超えられる。選手も私もこれから一緒に成長していきたい」と、夏での活躍を誓った。

 控え部員による応援団の責任者として、小浜さんはこの日、グラウンドに背を向けながら部員への指示や大会本部との連絡などに追われた。それでも球場が沸くと、振り返って後輩のプレーを真剣な表情で見つめた。

 11年前の夏は途中出場で、いったんは同点に追いつく犠飛を決めた。「試合終了後の悔しさと、やりきったという感覚は今でも忘れない」と言いながら、同じ相手に敗れた選手を見やった。

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