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金足農・渡部光俊投手 |
「あわてなくてもいい。ボールになって外れてもいいんだ」
9回裏2死二、三塁。1失点した後、なおも1打サヨナラ負けという場面。金足農のエース渡部光俊君に、捕手の渡部陸君が声をかけた。打席の佐藤洋君をすでにカウント2―1と追い込んでいたが、極度の緊張で声は耳に入らない。
汗をぬぐうため、帽子を取った。
「抑えれば甲子園だ」。興奮が冷めやらないうちに上がった、最終回のマウンドだった。9回表の攻撃、1死満塁から自らが初球をたたいて走者一掃の三塁打。逆転に成功していた。詰め切れなかった1点差が2点リードに変わり、胸の高鳴りは最高潮に。気持ちを落ち着かせようと9回の守備につく前、胸のお守りを握りしめてセンター方向を見つめていた。
「絶対に勝てる」。中盤以降の投球内容は悪くない。「自分だけで抑えようと力んでしまった」という2回は直球を打たれるなど6失点したが、3回以降は直球からカーブを主体にした投球に切りかえ、毎回三振を奪う好投を見せた。
ただ、9回だけは再び直球主体に戻した。理由は秋田商打線から変化球を待つしぐさが見られたことと、「最後は自信のある直球で真っ向勝負、全力勝負がしたい」という思いがあったからだ。
「三振を取って終わろう」。――帽子をかぶり直した。
三浦健吾監督は「勝負を急いでいる。1球ボールを入れてもいい場面」と思ったが、渡部君は「外すなんて考えなかった。三振を取りにいった」高めの直球を投げ込んだ。
望み通りに投げた悔いなき1球は、右翼方向に打ち上がる。「よし」と勝利を確信した次の瞬間、その球がグラウンドに落ちていた。渡部君はしばらくとぼとぼとその球の方向に歩いたあと、急にしゃがみこんだ。試合が終わっていた。