朝日新聞デジタル

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2013年7月9日18時28分
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〈フィールドオブ友情〉宮城 間借り生活、共に成長

写真:石巻北のグラウンドでの練習試合を終えた宮城水産の末長遊心主将(左)と石巻北の柏倉涼主将=石巻市拡大石巻北のグラウンドでの練習試合を終えた宮城水産の末長遊心主将(左)と石巻北の柏倉涼主将=石巻市

■憧れの練習場、今は仮設住宅が並ぶ

 梅雨の黒い雲が垂れ込めていた。6月22日、石巻北のグラウンド。3校が総当たりする練習試合の最終戦が始まろうとしていた。

 「コールドありで。あっちは選手が少ないから。前の試合で疲れたって」

 石巻北の内海聡監督(54)が軽口を飛ばす。「うちとの試合はいつでもできるからな」。なじみの宮城水産との試合が始まった。

     ◇

 石巻市渡波。192戸の仮設住宅が立ち並ぶ。片隅に今は用をなしていないものが見える。バックネットだ。「志高克己」と「最大発声」というプレートが掲げられている。ここは宮水の野球場だった。

 末長遊心(ゆうと)主将(3年)は中学生の時、このグラウンドを見て、一目で気に入った。「あのグラウンドがあったから、宮水で野球をやりたいなって」。だが、入学を目前に東日本大震災が発生。津波は憧れの場所をものみ込んだ。

 宮水は、10キロほど内陸にある石巻北の敷地内にできたプレハブ校舎に移転。震災1カ月後、二つの野球部は石巻北のグラウンドでいっしょに練習するようになった。「野球ができるだけで幸せでした。石巻北のみんなのおかげで、居づらさなんか感じなかった」。末長君は言う。

 グラウンドは広く、練習は別メニュー。石巻北の柏倉涼主将(3年)は、宮水の練習を横目で見て感心していた。「つらい経験をした部員もいるはず。なのに、それを吹き飛ばすような大声が出ていました」

     ◇

 宮水の生徒が、修復された元の校舎に戻ったのは今年1月。その前月、両野球部は、石巻北のグラウンド脇で別れのバーベキュー会を開いた。

 寒風が吹き抜ける中、両校の選手たちは共に過ごした1年8カ月を思い返した。末長君は言う。「どこにでこぼこがあるとか、グラウンドのくせはもう全部知っていました」。他校のグラウンドは「俺たちのグラウンド」になっていた。

 宮水には今も自由に使えるグラウンドはなく、市内を転々としている。だが、石巻北が遠征する時には、なじみのグラウンドを優先的に使うことができる。「内海監督と僕が、石巻高野球部の同級生ってこともあるんだけどね」。宮水の阿部輝昭監督(53)は笑う。

     ◇

 両校の練習試合は石巻北が先制した。だが、10点差ならコールドになる5回終了時の点差は1。内海監督の読みは外れた。それからは打ち合いに。石巻北が6回に7点差とすると、宮水が7回に5点を返してコールド負けを阻止した。

 「同級生対決だ!」「どっちが成長した?」。打者が構えるたび、どちらのベンチからともなくヤジが飛ぶ。試合は真剣。それでも雰囲気が違う。「石巻北との試合は紅白戦みたいなもんです」と末長君は笑う。結局、9回まで続いた試合は、16対11で石巻北に軍配が上がった。

 梅雨の雲は雨粒を落とさず、両校の久しぶりの手合わせを邪魔しなかった。選手たちがトンボをかけているグラウンドには、太陽の光さえ差していた。

     ◇

 野球場を「夢のフィールド」と表現した米国の映画があった。球児にとって、甲子園につながる自校のグラウンドもそんな場所に違いない。震災を経験した宮城の球児たち。彼らは、夢とともにグラウンドで何を見たのか。(鈴木剛志が担当します)

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