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第93回全国高校野球選手権大会

地方ニュース

〈鹿児島:がむしゃら・神村学園(下)〉監督と寮母、二人三脚で甲子園の夢へ

2011年8月2日11時10分

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写真:ノックをする山本常夫監督(右)=いちき串木野市の神村学園グラウンド拡大ノックをする山本常夫監督(右)=いちき串木野市の神村学園グラウンド

写真:寮母の山本潤子さん=いちき串木野市の神村学園グラウンド拡大寮母の山本潤子さん=いちき串木野市の神村学園グラウンド

 「私の夢は、今も甲子園に行くことです」

 神村学園野球部寮の寮母、山本潤子さん(49)は約20年前の結婚式で、親戚や友人たちを前に夫・山本常夫監督(50)が語った言葉が忘れられない。「潤子さんの旦那さんって変わった人ねって、みんなに言われたんです」とほほ笑む。

 山本監督は大阪府出身。高校時代は近大付(大阪)で中堅手としてプレーした。最後の夏は決勝でPL学園に敗れ、あと一歩のところで甲子園を逃した。高校野球の指導者を目指して日本体育大学に進み、教師になった。

 だが、高校野球の指導者の道に恵まれたわけではなかった。通信制高校に勤務し夜に家庭訪問を繰り返す一方で、高校野球の審判をやった。そこで甲子園のグラウンドに立つチャンスが巡ってきた。審判として。

 2006年の第88回選手権大会。開会式ではファンファーレと高校時代に憧れた入場行進曲が響く。ひざが震えた。この時45歳。思い続けた舞台だった。

   ◎    ◎

 数カ月後、転機が訪れた。大学の先輩だった当時の神村学園の監督から「うちで指導しないか」と誘われた。

 「もう一度ユニホームを着たい」と激しく思った。小学5年〜中学3年の子ども3人の進路を考え、反対する潤子さんに山本監督は「ノックバットが振れるんだ」と説得を続けた。

 家族は1995年の阪神大震災を兵庫県芦屋市の自宅で経験。家族が絶対に離れないように手を握りあって逃げた。潤子さんは「父親が一緒にいられる幸せをものすごく感じた。単身赴任はありえなかった」。話し合いの末、背中を押したのは当時小学5年だった次女の香里さん(16)からの手紙だった。「お父さんの夢をかなえるために、私はどこにでもついて行くよ」

   ◎    ◎

 07年3月に期限付きの監督として神村学園に赴任。その年の夏の甲子園を指揮した後、10月にコーチに就任した。そして前監督の退任に伴い、08年3月に再び監督に就いた。

 監督として実績があるわけでもない。周囲に冷ややかな目で見る向きもあったが、同じ年に寮母になった潤子さんは夫と二人三脚でチームを支えることにした。けがをした選手を病院に送り迎えしたり、「顔ににきびができた」といった悩みを聞いたり。ありとあらゆる相談に乗ってきた。

 山本監督が谷川暁コーチらと試行錯誤を重ねて育てたチームも4年目。潤子さんは「今年の選手は特に監督との信頼関係が厚い」と感じる。午前5時からでも、消灯の午後10時50分まででも練習に付き合う。ノックでは一つのミスが試合でどう影響するか選手に問いかけ、考えながらプレーすることを求める。

 山本監督は静かに言う。「入学前から私が監督だとわかって神村に入ってきた選手ばかり。1日30キロも走らせたこともあった。絵空事じゃなく本気で甲子園を目指して、それを実現した。すごいやつらですよ」

 4年ぶりの出場。甲子園での挑戦が始まる。(この連載は金山純子が担当しました)

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