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新潟大会ニュース

〈新潟・明訓8強の力(上)〉「強い心」チーム全体に

2010年08月25日

 「バッター、来いやー!」

写真京都外大西(京都)戦で先制の適時二塁打を放ち、チームを波に乗せた田村主将=阪神甲子園球場

 9回無死一、三塁。攻撃する西日本短大付(福岡)への声援が阪神甲子園球場を包む中、身長164センチ、体重66キロの小柄な選手の大声が、バックネット裏最上部の記者席にまで届いた。新潟明訓の遊撃手、田村昌大主将(3年)の声だった。

 明訓はこれに勝てば、創部初の甲子園8強入りだ。だが1―0で、リードはわずか1点。佐藤和也監督は、逆転されるのを覚悟した。

 田村はこの試合で8回、遊ゴロを捕ってアウトにした際、右手親指にボールがあたり、つめがはがれた。血がにじみ、痛みがあった。それでも、最大のピンチを迎え、田村は「おれの所に打ってこい」と強気で叫んでいた。

 その気持ちに引き寄せられたかのように、打球はライナーで田村の正面へ。がっちりつかみ、一塁走者が飛び出しているのを見て、すかさず送球し併殺にとった。

 「主将がピンチを救うのは当たり前です」。そう言った田村の戦う姿は、随所で「闘将」を印象付けた。

 4強をかけた報徳学園(兵庫)戦では3回2死で打席に立ち、相手投手の140キロ近い直球を胸に受け、倒れ込んだ。球をよけた際にバットが出て、空振り三振。田村はすぐに立ち上がり、悔しさを前面に出した。8回に適時打を放った時も「絶対におれが決める」という気持ちだけで、緊張感はなかったという。

 明訓を26年率い、春夏合わせて7回、甲子園に導いた佐藤監督は「そういう選手が甲子園では活躍する」と言う。

 田村は1年からレギュラーだった。ただ強い闘争心が備わったのは、2年秋の新チームで主将になってからだ。田村の1年先輩で主将だった種橋瞭さん(18)は、田村がチームを引っ張っていると認めながら「昔は自分の結果が出ないと、しょぼんとしていた」と振り返る。

 夏の新潟大会では一昨年、4回戦で敗退。昨年は3回戦で涙をのんだ。「人生で一番泣いたかもしれない」と言う田村。「夏、甲子園に行く」という決意だけで、冬場のつらい練習を乗り越えた。打撃練習で打ちそこねれば、何本も打ち直した。守備練習でエラーすれば、ミスを修正するためノッカーに何度もボールを要求した。気の抜けたプレーをした選手に「お前、宿舎帰れ」と怒鳴ることもあった。

 佐藤監督は「今年の明訓は、間違いなく田村のチーム」と言う一方、「田村のような選手が多いチームだった」とも評価した。

 西日本短大付戦では、0―0で迎えた6回1死二、三塁で、「自分が打つ」と心に決めた間藤諒(3年)が力強く振り抜き、この試合唯一の適時打を放った。守備では9回2死三塁で、次の新チームを支えるであろう2年の一塁手漆原大夢が「自分のところに打ってこい」と、胸を強くたたき、難しい打球をうまく処理してアウトにした。

 田村を筆頭に、選手たちが持っていたピンチやチャンスにも動じない強い気持ち。それが甲子園8強の原動力の一つになった。

(この連載は富田洸平が担当します)


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