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〈神奈川・負けてたまるか 公立球児の挑戦3〉横浜高を追いつめた

2010年07月02日

■バッテリー ひるまぬ精神

 強豪・横浜が、無名の公立校に追いつめられた。

 2003年7月22日、85回大会3回戦。保土ケ谷球場のスコアボードには、港北の1回裏に1点が刻まれて以降、0が並んでいた。

 その年の横浜は、成瀬善久(現千葉ロッテ)、涌井秀章(現西武)の二枚看板で選抜準優勝。しかし、港北のエース平野拓也に8回まで4安打に封じられ、ベンチの表情は回を追うごとに曇ってゆく。

 港北の主将で捕手の福沢次郎はスタンドの雰囲気が変わるのを感じた。最初は「頑張れ」という温かい視線。終盤には「横浜が負けるはずがない」という緊迫感。8回は「お前らヘタクソなんだから負けろ!」とヤジが飛んだ。

 福沢には心地よく聞こえた。「絶対勝つんだ」と9回表の守備についた。

    ◇

 2人には思いがあった。

 平野は入部してすぐの秋季大会で横浜と対戦し、1回を抑えて派手にガッツポーズをした。結果はコールド負け。試合終了後、相手に笑われた気がして、悔しかった。

 福沢は中学ではシニアチームの主将で4番。有力私立に誘われたが家計に負担をかけたくなくて公立に進んだ。私立に行く仲間に「野球をあきらめるわけではない」と宣言した。港北では「16強」となっていた目標が不満で、主将になると「甲子園」に変えた。

 対戦前、ビデオで横浜を研究した。福沢は「それほど打てない。1点取って死ぬ気で守ろう」とチームに話した。

 試合は思い通りの展開になった。福沢が先発涌井の直球をたたいて三塁打とし、次打者の中前打で先取点。5回にエース成瀬を引きずり出した。平野は速球に強い横浜打線を警戒し、揺れて落ちるチェンジアップなどの変化球を低めに集めた。

    ◇

 9回表。1死から内野がゴロの捕球を焦り左前打となる。続く打者は高く弾む三塁へのゴロ。だが、併殺を意識して一塁送球が一瞬遅れ、微妙なタイミングでセーフに。「がっかりしなかったと言ったらうそになる」と平野。

 9回を投げきったことのない平野は肩で息をしていた。福沢の指示は外角ギリギリの直球。平野は「1球外した方がいい」と思った。迷いながら投げた威力のないボール球を、強引に中前打された。同点。わきたつスタンドの声に動揺した。次打者に初球を二塁打され、逆転。

 張りつめていた気持ちが切れた。連続四球で押し出し。この時のことを平野はよく覚えていない。後続の投手もつるべ打ちにあった。平野はベンチで涙が止まらなかった。

 試合後、福沢は横浜の主将と握手した。「おれたち、絶対甲子園に行くから」。福沢は思った。「ようやく僕らを同等と認めてくれた」

    ◇

 平野は専門学校に進学したが、辞めて港北の臨時職員になり、監督をやった。「強豪私立を倒す夢を後輩に託したかった」。23歳で横浜市立大に入り直し、教師を志す。現在も時に母校で野球を指導する。「どんな相手でもひるまない精神力を伝えたい」

 福沢は日体大進学後、ラクロスを始め、日本代表に選ばれた。教員試験に合格し、今は有馬の野球部長。「16強」を目標にする生徒らに「なんで『甲子園』と言わないの」と語りかける。

 今月、英国であるラクロスW杯に出場する。忙しくてもトレーニングは欠かさない。「目標を高く持てば、そこに近づける。あの試合でそう思ったから」(敬称略)


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