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福島大会ニュース

居場所見つけ不登校克服 高校野球、聖光8強支えた裏方

2010年08月23日

 興南(沖縄)が春夏連覇を果たした第92回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高野連主催)で、2年ぶりの8強入りした聖光学院。その活躍の影に中学時代の不登校を克服したマネジャーがいた。3年生の大内佑太。彼の夏を追った。

写真福島への帰郷準備をする聖光学院の大内佑太マネジャー。3試合をともにベンチで戦った甲子園での記録員の仕事をやりきり、表情も晴れやかだった=大阪市北区中之島

 興南との準々決勝。9回、最後の打者根本康一が三振に倒れると、記録員だった大内はベンチ前で斎藤智也監督の横に並んだ。肩を落として整列する選手たちの後ろ姿を見ながら涙が止まらなかった。大声を出し続けて声が枯れていたが、疲労感はなかった。「悔しい。みんなともっと上を目指したかった」。宿舎に帰るバスの中、野球を続けてきて良かったと思えた。

 部員が100人を超える大所帯。女子マネジャーはおらず、マネジャーは大内ともう1人の3年生渡辺海(かい)の2人。練習中はノックの補助をしたり、投手の投球を受けることも。練習終了後もキャッチボールやノックに付き合う。福島大会前は自宅に帰ることが深夜になることも。「自分は選手じゃないから、遅くなってもいい。チームに貢献できるのがうれしかった」

 中学2年生で不登校になった。クラスの雰囲気になじめず、「居場所がない」と感じた。同級生と話が続かなくなり、学校に行くことが次第に怖くなった。気がつくと、自宅に引きこもる日々に。だが、軟式野球部の練習だけは必ず参加した。野球で仲間と一緒にいるときだけが、心の底から楽しいと感じられたという。半年かけ、野球の練習を支えに、学校に通えるようになった。高校では自分を変えようと思い、甲子園の常連校に進学した。クラスにも野球部員が多くいて、仲間と話しているうちに、学校への不安や恐れは消えた。

 転機が来たのは1年の夏。練習中に股関節を痛めたのをきっかけに、横山博英部長から勧められ、マネジャーへ転向した。選手では活躍できない。1カ月、悩んだ。退部という選択肢もあったが、「ここであきらめたら、また同じだ」との思いで裏方を引き受けた。以来、練習の姿勢や用具の扱いは人一倍厳しくしてチームを支えてきた。村島大輔主将は「選手が気がつかないようなアドバイスをいつもくれる。先のことを考えて、いつも一生懸命。チームを包み込んでくれていた」とその存在に感謝していた。

 昨年暮れ、不登校だった体験をA41枚の文章にまとめた。「苦しむ子どもの心を信頼して欲しい、乗り越えられない困難は無い」と訴えた。「学校に行くことだけがすべてか。僕は不登校になったから今の自分がある」。それを見た母・有子さん(51)が、自身が開く不登校で悩む親向けのセミナーで紹介した。

 卒業後はスポーツトレーナーを目指すつもりだ。「不登校だった時は死ぬことも考えた。でも、今は野球のおかげで夢が持てるようになった。野球は恩人のような存在。僕の経験を不登校の子どもたちに伝え、道を開く恩返しをしたい」。困難を乗り越えた先に最高の笑顔があった。(古庄暢)


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