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東東京大会ニュース

仲間信じ度胸と笑顔 関東一のエース・白井選手

2010年08月19日

(18日、成田6―3関東一) 「あとは任せろ」

写真成田―関東一 3回表成田1死満塁、先発井手から交代する白井(右)=長島一浩撮影

 3回表1死満塁、先発の井手一希(3年)からボールを託され、エース白井慶一(同)がマウンドに登った。

 甲子園で3試合を完投し、すでに480球を投げていた。前日の早実戦では利き手の左手に打球を受け、中指はボールの縫い目の跡がくっきりと残って腫れていた。それでも「きょうは大丈夫だった」。疲れはあったが、「苦しい場面でカーブが決まって、自分らしい投球ができた。満足です」と振り返った。

 中学3年の時、がんで亡くなった父の俊一さんと交わした「甲子園に行く」という約束は、1年の夏に果たした。昨年の冬には、がんで入院していた祖母の寿美子さんから「最後の夏も甲子園に行ってね」と言われていた。東東京大会で優勝すると、亡くなった寿美子さんに「甲子園に戻れるよ」と心の中で話しかけた。

 この2年間で、白井は大きく成長した。

 1年の冬、左ひじを痛めて手術を受けた。3カ月後に復帰。2年の夏からはエースナンバーを背負った。その夏の東東京大会で敗退してからは、バッテリーを組む本間諒(3年)と対戦相手の研究を重ねるようになった。それまで配球は捕手任せだったが、「なぜこの球なのか、考えが一致していると思いっきり投げられる」と気づいた。

 「あんまり動揺しないタイプ」と話す通り、マウンド度胸は抜群だった。

 東東京大会では準々決勝で脇腹を痛めたが、顔には出さず、味方の援護を信じて決勝まで投げ続けた。甲子園でもほとんど表情を変えず、相手に考える暇(いとま)を与えないテンポのいい投球を貫いた。走者を背負っても、粘りの投球で数々のピンチをくぐり抜けた。

 「打たれてもみんなに助けられた。仲間とここまで来られて楽しかった」と白井。「悔いはない。泣く要素もないです」。言葉通り、試合後もずっと、笑顔だった。=選手敬称略(千葉恵理子)


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