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「真市の息子」いつか父超える 享栄・近藤弘基君 愛知

2010年07月20日

 4点を追う8回の享栄。「まだいける」と叫ぶチームメートの声を聞きながら、近藤弘基君(3年)は打席に向かった。

写真守備からベンチに戻る享栄の近藤弘基君=小牧、遠藤啓生撮影

 直前に榎本隆志君(3年)が本塁打を放っていた。「おれも続く」。バットをささげ持ち、「うおーっ」とほえた。狙い通りの外角の直球が来たが、気合が空回りした。芯を外れた打球は右飛に。悔しくて歯をかみ締めた。

 「近藤真市の息子」。そう呼ばれ続けてきた。父真市さん(41)は同じ享栄出身。中日ドラゴンズで初登板で無安打無失点を成し遂げ、今は投手コーチ。父とは幼少の頃から野球をして遊び、中学も野球部を選んだ。だが努力をすることが嫌いで、体力がつかなかった。下級生と一緒にダッシュをすると気分が悪くなった。自分が情けなかった。

 進学先に悩んでいたころ、親類の家で古いビデオテープを見つけた。1986年の夏の甲子園3回戦、享栄―高知商戦。画面には、自分とさして年齢の変わらない父の姿があった。優しい父が、マウンドでは闘志をむき出しにしていた。父とは正反対の自分を変えたい。自分から「享栄に入りたい」と宣言した。

 入学後、毎日10キロを欠かさず走った。「私学4強」の一角で競争相手は多い。帰宅すると布団に倒れ込み、ナイターを終えて帰る父になかなか会えなかった。それでも昨年夏にベンチ入りし、副主将になったころには、帰りを待つ余裕ができ、打撃の悩みを相談した。

 この日の試合前、球場を訪れた父は「思い切ってやれ」とアドバイスしてくれた。父、真市さんは「自分が選んだ道。最後までがんばってほしい」とスタンド裏で語った。

 打ち取られてベンチに戻ると監督から交代を告げられた。初戦敗退で安打はゼロ。仲間が泣く姿を見て、「終わったんだ」と感じた。

 まだ野球を続けたい、と思っている。もっと実力をつけてプロに進み、父が「近藤弘基のオヤジ」と呼ばれる日まで。(工藤隆治)


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